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『耳を貴(たっと)び、目を賤(いや)しむ』 ― コミュニケーションの仕組み考 ―

2012年10月20日

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中国の古典・張衡(ちょうこう)から出た諺だそうです。
遠く離れたところにあるものをありがたがり、自分の身近にあるものをないがしろにすることのたとえで使われる諺です。
また、昔を貴び、現在を軽んじることの意味でも使われます。
人から伝え聞いたことを尊重するが、自分が実際に目にしたことをさげすんだりするのも、人間の特徴のようです。
『耳を信じて目を疑う』ともいい、こちらは中国の古典『抱朴子・広譬』起源の諺だそうです。
こちらは、人は聞いたことは信頼するが、身近に見るものは信じようとせず、見もしないことを尊重し、卑近なことを軽視するものだということをいいます。
店舗や会社をより良くしたいと願うとき、周囲の環境や同業他社を調べたり、新しい知識や仕組みを取り入れにかかったりして組織固めをしていくことが多くなります。
その際に、他者の良いところを学び見習うようにしていきます。
しかし、ここで陥りがちな大きな罠があります。
どうしても、他者の美点を見て、その部分ができていない自己の組織の現状と比較して落胆や悲観をし、自己の欠点と他者の美点とを比較して、勝ち目の無い部分で勝負をしていってしまいがちになることです。
自己の組織体にも素晴らしい美点や長所があるにもかかわらず、自分達のできていないことの方に、どうしても眼が行ってしまいがちになるのです。
自分の仲間達にもいい面や持ち味がたくさんあるにもかかわらず、外と比較しての欠点を見てしまって、彼等の長所さえも見えなくなってしまうのです。
場合によっては仲間の長所を引き出すどころか、その特長すらも見出せなくなってしまうリーダーもいると思うのです。
外に眼を向けて勉強することは大切ですが、その一方でそれ以上の手間と時間をかけて、自分達の仲間のスタッフとしっかり向き合って、能力を引き出して長所を活かしきることが大切と思うのです。
今回は、改善に向かう際のリーダーの考え方について、自戒の念も込めながら考えてみたいと思います。

《耳を傾ける》

注意して、熱心に聴くことの意味の諺です。
傾聴するともいいます。
集中して熱心に聴くことによって、その人の考えていること、得意だと思っていること、本人には自覚が無いけれども隠れている才能や長所を見出してあげることができます。
お互いに解かりあっているつもりでも、人間は親しくなればなるほど、集中して人の話を聞けなくなる性質が出てくるということですので、注意が必要です。
長い時間近くにいればいるほど、このぐらいは相手に通じているに違いないと、都合の良い思い込みをお互いにしてしまって、会話のコミュニケーションを忘れがちになるそうです。
他人のいうことは素直に聞けても、親のいうことは同じ意味のことをいっていても素直に聞けず、ついつい反発してしまうなんてご経験はありませんか。
また、夫婦間や恋人などの間でも、親密になるほどに逆に会話のコミュニケーションを省略する(手抜きする?)なんてご経験をお持ちの方もあるのではないのでしょうか。
社員間の様な組織構成員の間でも、同様の事が起こりがちです。
長い間付き合えば付き合うほど、いわゆる『阿吽(あうん)の呼吸』や『つうといえばかあ』といった関係になれるといった間違った思い込みが、相互に発生していくようです。
当然、すべての人は基本的な考え方や思考法、価値観、常識とするところ、ライフスタイルなど千差万別で、誰一人として同じ人は居ないのに、長期間の付き合いで『あの人はこういう人だから』とお互いにレッテルを貼り合って決め付けてしまったり、逆に理解してくれているだろうと勝手に思い込んだりということが起こってしまい、コミュニケーションギャップが生じてしまうことが起こるようです。
ちなみに、『阿吽』とは、インド古語のサンスクリット語の「a」と「hum」の音に漢字を当てたものだそうで、口を開いて出す音(開声)と閉じて出す音(合声)の組み合わせにより、呼気と吸気という意味も持つとのこと。
また五十音表に似たサンスクリット語の順番では、それぞれ最初の音と最後の音だそうです。
神社の狛犬・獅子や寺の仁王像のコンビは、一方は口を開けた阿(像)で、もう一方は口を閉じた吽(像)となっています。
これは阿(あ)と吽(うん)で万物の始まりから終わりまでを象徴したものだそうです。
つまり「あうんの呼吸」と言えば、最初から最後まで全てにおいて呼吸の合う、心の通じ合った関係ということなのですが、ビジネス上ではこのような関係は簡単にはできないと考えて接することが肝要だと思います。
また、『つうといえばかあ』にはいくつか説があるようです。
ひとつは、江戸っ子言葉を語源とする説で、江戸っ子同士が会話するときに、「~つぅことよ」「ああ、そうかぁ」という言いまわしがよく使われるので、「つぅことよ」の「つぅ」、「そうかぁ」の「かぁ」を取り、気心の知れた仲のことを「つうかあ」と言うようになった説です。
もうひとつが、明治末期から大正にかけて漢語が大流行した際に誕生したのが「通過の仲」すなわち「つうかあの仲」で、物事が通過するように、こちらの意思が相手に伝わるというような意味で使われたという説です。

《耳は大なるべく、口は小なるべし》

人の話には常に耳を傾けるように努めて、自分の口はなるべく慎んで余計なおしゃべりはしないように心がけるべきだという意味の諺です。
傾聴するとはまさしくこのことをいい、しっかりと聴いていくためには自分の口からは、相手のことを理解するための質問や、共感の気持ちを表現する為の承認の言葉、受け入れて理解する受容の気持ちを表現する安心感のある言葉を発する程度で、あくまでも相手主体で、こちらからの口は最低限に留めるべきだという教訓にもとれます。
リーダー側からの発言は、権威を伴うので、意識しなくても説教じみて聞こえてしまう性質をどうしても持ちがちです。
『聞く』は、英語のHearに近く、集中せずとも聞こえてくるニュアンスで、『聴く』のほうは英語のListen toに近く、しっかりと意識して耳を傾けるといったニュアンスです。
リーダーは間違っても、Ask=問い詰めるような聞き方をしてはならないとも思います。
『聴く』は、分解すると『耳』・『+プラス』・『目』・『心』でできており、耳だけでなく目と心も使って聴いて理解を深めること。
『傾』は耳を相手に向けて傾け、相手の話に受容と共感の気持ちで、うなずき頭を傾けること。
傾聴とは、相手を理解する様に気を配り聴くことだと思います。
人とのコミュニケーションにおいてリーダーが注意して心がけなければならない重要な点は、メンバーのことをしっかりと理解して認めてあげるというスタンスで聞くことです。
リーダーも人間ですから、ついつい理詰めで説得してみたり、正しい正しくない、善悪の判断基準などで人を動かそうとしてしまったりします。
役職権威で人を動かそうとしてしまうこともあると思います。
しかし、受け手側の価値判断や基準は人それぞれ違うので、善悪の判断や規則に対する解釈すらも多様なので、仕組みやルールだけでは人は動かないのです。
人が最大限のパフォーマンスを発揮する意思決定には、『あの人から頼まれたから』『あの人が喜ぶなら』『あの人に一生ついていく』『あの人の為に』といった、非常に感情的な意思決定が影響を与えるといわれています。
リーダーもフォロワーも、お客様も業者側も、互いに人間です。
皆が自分のことを理解して欲しい、助けて欲しい、愛して欲しいと思っています。
そんな自己承認の欲求を満たしてあげることが、コミュニケーションを深める為には必要です。
その第一歩が傾聴するという行為なのだと思います。

《耳にたこができる》

同じことを、嫌になるほどに何度も、繰り返し聞かされるたとえとして使われる諺です。
タコは海に棲む蛸ではなく、手足などの皮膚に盛り上がり硬くなった胼胝(たこ)の方です。
一回言ったからいいだろう、何回か言ったからもう分かっただろう、以心伝心で彼なら解っているだろうなど、伝達者側が思うことはよくあります。
上司と部下といった組織内ばかりでなく、お客様との対外的関係内でも、さらに家庭内の身内でも良く起こると思います。
話したのに聞いていない方が悪いとか、何度も言ったのになぜやらないといったもめ事や、『言った、言わない』といったトラブルに発展してしまうこともしばしばあります。
こういったコミュニケーションのギャップのトラブルは、人のコミュニティの中で起こることは当たり前なのだということを認識して進める必要があると思うのです。
人間は、人それぞれ重要だと思っている視点や判断基準が違うので、同じ話を皆にしても、受け止め方や動き方が違ってきてしまいます。
受け手側が認識できる意識(健在意識)の中でも受け止め方の違いが顕著に出てくるのですが、もっと厄介なのは潜在的な意識、つまり受け手本人が認識していない深い意識で勝手に判断し、重要か否かを決めているということなのです。
脳科学的には、人間は蓄える知識を次々と習得しながら、一方では蓄えた知識を次々と忘れていっているといわれています。
脳細胞の容量は巨大で空きスペースは膨大にあるのに、次々と忘れていっているそうなのです。
覚えた後で、使わないものから順番に忘れていくそうです。
いかに脳の容量が豊富でも、いろいろな蓄えた知識がありすぎると、引き出しが広くても一杯になってしまい判断材料が多くなりすぎて、瞬時の判断ができなくなってしまうのだそうです。
人間とて生き残るのに必死の時代から生きてきた動物ですので、判断が遅くなるということは、生存する為に支障をきたします。
そこで、当面生き残るのに必要のないような、使われてなさそうな記憶から忘れていくようにできているらしいのです。
今流行の『断捨離』の発想に似たことを、脳が自動的にしているのかも知れません。
重要か重要でないか、何が大切であって、どれを忘れていいのか、それを判断しているのも自分でわかる意識(顕在意識)ではなく、自分でコントロールできない潜在意識だというのです。
ですから、優先順位はこれだとか、これが重要だから忘れてはならないということを自分で強く認識して、忘れずにそれを遂行できる人はごくひと握りだと認識しておくべきなのです。
それも、この分野ではこの人はこれを自力で忘れずに手堅くできるけど、違う分野では忘れてしまうというように、忘れやすい分野や領域が人によって異なってくるものらしいのです。
人間の本能的なもので、しかも本人が制御不能な無意識的なものとなれば、発想の転換をしなければなりません。
組織体は目的を持って動くものですから、目的に向かっていく上で、忘れてしまって意思疎通ができずに、遂行に支障をきたしてしまうようではいけません。
では、どうしたら徹底できるのか、それは『耳にたこができるまで』繰り返し話をしていくしかないのです。
できるまで、分かるまで、辛抱強く、しつこく、根気良く続けていくしか方法がないのです。
指示でも、命令でも、お願いでも、懇願でもすべてこれをしないと、人間は忘れるようにできている動物なのです。

《耳が痛い》

同じことを何度も言われて聴く側は苦痛を伴います。
しかもそれが、自分が意図しないにもかかわらず、忘れたり後回しにしたりしたことともなれば、耳の痛い話になります。
耳が痛いとは自分が悪いと自覚していることを表現しています。
一方、耳の痛い顔をした相手に、繰り返し耳にタコができるまでいう側の方は、口が酸っぱくなってしまいます。
主に注意をしつこくすることを『口を酸っぱくして言う』と表現しますが、指示命令のみならず、お願い事でも、確認でも何度もするほうにもストレスがかかり、口が酸っぱくなるほど嫌なものです。
解決方法はふたつです。
ひとつは、魔法の確認言葉、魔法の質問言葉を使ってコミュニケーションをしていくことです。
はじめに明確に指示やお願いをして、理解できたか確認質問をしておくことが重要な前提です。
そして、二回目以降は、『最近どう?』『順調か?』『上手くいっている?』『困ったことないか?』『気持ちよく進んでいる?』などのなげかけの質問をしながら、進度チェックや、お互いに考えながらの最善策をつくっていくという方法です。
故・松下幸之助氏はこういった質問の天才だといわれています。
しつこく繰り返されることで、疑われて確認されているのではないかといったネガティブな感情を持つのではなく、自分のことを気にしてくれて認めてもらっている、信頼されているというポジティブ感情を持ってもらうことができます。
もうひとつは、理念やミッション、ビジョンといったものを明文化して、毎日皆で唱和することで、自分の口から発せられ自分の耳から聞くことで、しっかりインプットされるという方法。唱和する声も入って皆でやるという一体感も生まれてきます。
意思疎通は、ちょっとした工夫や配慮、思いやりから生まれると思いますがいかがでしょうか。

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