『にわか仕込み』 ― 長いお付き合いについて考える ―
仕込むは色々な意味を持ちます。
①主に酒・醤油・味噌・ワインなど 発酵させて長期間熟成させるものを、混ぜて醸造するための処置をすることがひとつの意味です。
②刀をさやに収めるといった具合に、中に作り入れることも仕込むと表現します。
座頭市が使っていた仕込み杖は、刀を仕込んであるから仕込み杖っていうのですね。
③さらに、商人が商品を仕入れたり、飲食店が材料を買い入れて営業の準備をしたりすることも、仕込むって表現をします。
④そして、現在一番頻繁に使用されるものが、『芸を仕込む』といったように、教え込んで訓練する意味です。
この④は、①の熟成して育てること+②の作り込んで準備すること+③の先行投資して準備し組み合わせることの三つが、人を育てることの意味とピッタリ合致したので、使われるようになったと考えられます。
仕込むの『仕』は『つかえる』の意味で勤めて奉仕、奉公すること、目上の人のそばにいてその人のために働くことや、その人を主人として扱いその人のためにつくすことの意味で使われます。
また、『にわか』とは、急に物事が思いがけず(いきなり・やにわに・突如・不意に・唐突に)に起こる様子や、物事に対する反応が早い様子(すぐに)といった意味で使われます。
にわか雨のにわかですね。
以上のことから、『にわか仕込み』とは、必要になってから急に調達することや、急の間に合せのために、短期間で覚え込むことの意味で使われます。
さて、4月からの春のシーズンは、新しい仕込みの時期です。
新しいスタッフを迎え入れて、お客様にお役立ちできる人々を育てていく第一歩の季節です。
また、転勤や入学等で転居してきたお客様を新たにお招きするなど、活気溢れるシーズンです。
当然のことながら、新たに出会ったスタッフやお客様と長いお付き合いをしていきませんと経営の安定は得られません。
もし、新規で勇気を持ってサロンに入り技術を受けたお客様がいらっしゃったとして、次回の再来店がなかったとしたら、またスタッフが自店の戦力になる前に退職してしまうとしたら、『今時の若い子は…』と退職したスタッフを非難したり、再来店されなかったお客様に原因や責任を持っていったりすることはできません。
そこには、どちらも未完成なものを完成域に近づけていく様な、迎え入れる側のしっかりとした心構えが必要だと思うのです。
今回は、そういった心を固めることについて考えていきたいと思います。
《青い鳥症候群》
メーテルリンクの有名な童話『青い鳥』は、チルチルとミチルの兄弟が幸せの青い鳥を探して放浪の旅を続けるが捕まえられずに終わると、実はそれは二人が同時に見ていた夢であって、夢から覚めて見ると自分達の部屋の鳥かごの中に青い鳥は居たってお話でした。
幸せを捜し求めてさまよい歩いたが、実は身近な気がつかない所にそれがあったって話です。
バブル華やかなりし頃に、就職先が引く手あまたにもかかわらず、自分のやりたいものが見出しきれないという理由で、定職につかずに努力はせずに漠然とした夢だけを追い求めている若者や、就職しても求めているものではなかったとすぐに転職を繰り返す若者を青い鳥症候群と呼んでいました。
最近は、就職難となって事情は一変しましたが、やはりせっかく就職しても長続きしないで転職したり、あえてフリーターに身を置いたりする若人も多いと言われます。
一説によると、ゆとり教育が原因であるとも言われていますが、私達親の世代も戦後の高度成長期しか知らない年代に入って来ていますので、さらに先輩の団塊の世代の皆さんのような激しい競争や、戦前戦中派の大先輩のような食糧難や生存そのものを脅かされる環境を味わっていないために、子供達への躾のあり方も変化してきたのかも知れません。
コラミニストで広告評論家でもある天野祐吉氏が、朝日新聞コラム『CM天気図』で、キンチョールのTVCMを使って次のように述べています。
松本人志が演じるおっちゃんが、公園で中学生の男の子に向かって『自分探しなんかやめたらええねん。何ぼ追いかけたって自分の背中は絶対見えへん』『そんなんやったら、店でキンチョール探すほうが絶対ええ。おっちゃん最近、先週かな、そのこと気づいてん』という内容のCMです。
そのCMに対して、天野氏はこう評価します。
『たしかに若いモンが自分探しなんていうのを聞くと、僕もちゃんちゃらおかしいと思う。本来の自分を探すと言ったって、そんな自分って言えるほどのものが自分にあると、本気で思っているのかな。』と主張します。
『今の仕事では自分が活かされない』とか、『もっと本来の自分に正直に生きたい』とか、そんなことで『自分探し』に走るのは、それこそ物事がうまくいかないときの言いわけであることが多いとバッサリ。
『自分なんてどれほどのものでもないんだ』というところから、若いモンは走り出さなくっちゃ、天野氏は結んでいます。
神戸女学院大名誉教授で著作家の内田樹氏は適職というものは存在しないとの立場をとります。
自分の適性に合った仕事に就くべきだと当たり前のように言われていますが、適職というものが本当にあるのかとういことには懐疑的だと内田氏は言います。
自分には唯一無二の適職があるのだが、情報が足りないせいで、それに出会えずにいるという不安のうちに若者が置かれてしまいがちだが、そういう錯覚を若者が信じてしまっているとの指摘です。
仕事というのは自分で選ぶものではなく、仕事の方から呼ばれるものだと考えていると内田氏は語ります。
《天職》
『天職』のことを英語では『CALLING(コーリング)』と言います。
天職、神のお召し、召集、点呼などの意味で使われるようです。
もうひとつ、『VOCATION(ヴォケーション)』とも言うそうですが、天職、神のお召し、職業、職務に対する適合性などの意味で使われるそうです。
どちらも原義は『呼ばれること』だそうです。
私達は、自分にどんな適性や潜在能力があるかを自分では知らない状況にあります。
でも、『この仕事をやってください』と頼まれることがあります。
その頼まれた仕事こそがあなたを呼んでいる仕事なのだ、そういうふうに考えるように内田氏は学生達に教えてきたそうです。
仕事の能力については自己評価よりも外部評価の方がだいたい正確で、頼まれたということは外部から『できる』と判断されたということであり、その判断の方が自己評価より当てになると内田氏は主張します。
『キャリアのドアにはドアノブはついていない』というのが内田氏の持論で、キャリアのドアは自分で開けるのではなく、向こうから開くのを待つもので、ドアが開いたらためらわずそこに踏み込むものだというのです。
『頼まれごとは、試されごと』という言葉がありますが、まさにそうやってチャンスをもらい、そこで積み重ねた経験と自信で、周囲からの評価と実績を元にキャリアを積み重ねていって、天職という人生の大きな満足感を手に入れていく(呼ばれる)と小生は思うのです。
さて、ここまで職業観や心構えのことについて長々と論じたかというと、雇い入れる側、迎え入れる側が新スタッフの職業意識をつかんでおくのが必要だと思うからなのです。
美容学校に意識を持って入り、2年間かけて免許を取得して美容業界に飛び込んでくる若者は、ある意味同世代での人達の中では目的意識が明確であり、美が好きであったり人が好きであったり、人を喜ばせることに幸せ感をもっていたりと、目指すものを持って入っている場合が多いと小生は考えているのです。
そういう資質を持った人達が多いとしたならば、この素晴らしい業界から他業種へ流出しないように、応援していきたいと思うのです。
内田名誉教授は、仕事をすることは『自分がいったい何を持っているのかを発見するプロセスなのだ』と結んでいます。
自らの可能性を切り開くためには、潜在的力を見出してあげる目で育てて生きたいものです。
《手塩にかける》
手塩にかけるとは、あれこれとめんどうを見て大切に育てることです。
『手塩』はめいめいが手にとって好みの味つけが出来るように各自の食膳に添えた塩のことだそうです。
その自分の塩、つまり自らの手で世話をすることの意味からこの諺が生まれてきたようです。
技術は繰り返しの訓練で身につくもので、促成栽培は難しいものです。
『にわか仕込み』で味付けをしても、本物の深い味わいは出せないものでしょう。
人間力というものも、人生経験や苦労の積み重ねなどで味わいが増してくるもので、にわか仕込みが出来ないものと思います。
もうひとつ、『にわか仕立て』という言葉もありますが、『仕込み』のように醸造して素材そのものを変化させて作り上げていくのではなく、こちらは素材が出来上がっているものを使って、急いで作り上げるといったイメージでしょうか。
洋服の仕立てのように、生地やボタンは手元にあるので、それを使って突然に急いで作るといった感じですね。
現在のスタッフで作り直したり、中途採用の経験ある技術者が加わったりといった場合は『仕込む』より『仕立てる』ウェイトが多くなると思います。
ただし、そういった材料があるとしても、シルクの生地もあれば、ウールもあれば麻もあり、化繊もあるといった状態だと思うのです。
だからといってみんなウールに揃える必要はなくって、それぞれの生地特性=個性を活かして、お客様に喜ばれるお洋服を仕立てて差し上げれば良いのです。
むしろスタッフバリエーションが豊富で個性が輝き、いろいろな喜びを毎回味わえるということが素敵な要素につながるのではないでしょうか。
若い新人スタッフの個性も同様で、彼等が入ることによってサロンの空気感は、居るだけでも変わるものなのです。
初めてお見えになったお客様も同様で、お客様がサロンの雰囲気を変えるということを、技術者の皆様も体験済みなのではないでしょうか。
ですから、新スタッフが一名だけでも加わるということは、劇的にお店を変えるチャンスと捉えるべきなのです。
人間的な成長や技術の練磨といったものは、終わりのないものだから『天塩にかけて』味付けを深めていくものだと思います。
技術や接客が経験によって深められることで、促成栽培が出来ないとしたならば、新スタッフに何を『にわか仕込み』すれば良いのでしょうか。
それは、笑顔と挨拶、返事、元気のよさ、明るさ、そしておもてなし心だと思います。
加えて、気配りや後始末、報告といったところでしょうか。
ここまで、出来てサロンに立てれば、店内の雰囲気も良い方に変わると思います。
場合によっては、先輩スタッフも刺激を受けて店内が激変するかもしれません。
しかし、もっと大切なことで、何よりも最初に『にわか仕込み』しなければならないことは、人に磨かれて自分の成長ができて、よろこび、充実、生きがいを感じながら働ける幸せ感を少しだけでもわかってもらって、職業意識を変えていくことだと思うのです。
世の中には多種多様の仕事が存在しますが、どのような仕事に就いても、そういう毎日を過ごしている人はしあわせです。
貢献する心、奉仕する心をもつことを意図していると、そこによろこびが生まれて、今の仕事に就いた意味が見出せてくると思うのです。
縁を大切にして、人との出会いを深めことで、そこに生きがいが生まれてくる。
そうすると、自分の蓄えてきた経験・能力・知識など、自己のすべてが生かされてくるのです。
自分の仕事の中で、縁ある人たちのために、自分のもっている力を発揮することで、きっと仕事に生きがいを見いだせてきて、それにより必ずよろこび多い毎日を過ごすことができるようになってくるということを教えてあげたいものです。
どうしても、即戦力として人手として早く貢献してもらいたいと教える側は焦りがちにもなりますが、働く喜びを人生上で見出した人は仕事の充実度は黙っていても、あがって来るものだと思うのです。
人生の大部分を占める仕事を充実して楽しめなければ、喜び溢れる人生とはならない筈で、批判を恐れずに言うならば、そこには遊びと趣味と仕事の境目がなくってすべて楽しいものだという世界もあると思うのです。
素晴らしい業界に入ってきたニューカマーを、業界全体で盛り上げて、働く楽しさをいち早く体験していただくことが、お客様にも喜ばれる店舗をつくることにも相通ずる道だと思いますが、いかがでしょうか。
マーケティングコンサルタント藤村正宏氏のブログ(エクスペリエンス・マーケティング)より「仕事って、労働を金銭に換えることではない」(2012年4月19日号)を一部転用させていただきました。
コラミニスト・広告評論家の天野祐吉氏の朝日新聞コラム『CM天気図』を参考にしました。