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『塵(ちり)も積もれば山となる』 ― 幸せを買っていただくという行為 ―

2009年06月20日

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塵のように小さいものでも、たくさん積み重なれば山のように大きくなります。
だから、どんなに小さなものでも、少量でも決しておろそかにしてはいけないという意味で使われる諺です。
英語では「Great rivers are made of little trickles.」(大河は小流からできる)、「Many a little makes a mickles.」(少量のものが多く集まれば多量になる)、「Every little helps.」(どんなに少しのものでも役に立たないものはない)などと表現されるようです。
さて、サロンビジネスは技術の世界ですので、例えそれが小さいものであっても、基本やこだわりを大切にすることが必要と思います。
もう一方で、もっと大きく考えると、お客様が仕上がったスタイルにより、大きな幸福感や充実感、小さな満足感に至るまで、幸せを感じながら店内で過ごして頂いたり、帰ってからそれがさらに高まる可能性まである、「幸せ供給のビジネス」とも言えると思います。
消費低迷の時代ですが、私達の業界こそ社会を元気にできる、今一番旬な業種であると確信しています。

《桃源郷》

「桃源郷(とうげんきょう)」は、俗世間を離れた安楽な別天地の呼び名です。
中国の古典「桃花源記」に載っていた物語が有名になって広まり、中国の南画の画題にもなり、日本でも文人画として多くの絵が書かれ、それらが掛け軸にもなっているので、目にされた方も多いと思います。
晋の国に住む人が山の奥で道に迷い込み、山を抜けると、そこは桃の花咲き乱れる理想郷で、秦の時代に戦乱を避けた人々の子孫が、時代が移り変わったのも知らずに平和に暮らしていたというお話です。
サロン来訪のお客様は、この俗世間を離れた理想郷を心の中に密かに求めて来店されているかも知れません。
理想郷からかけ離れた、現実の世界に近いサロンだと感じたお客様は、自分にとっての理想郷と夢を求めて、次のサロン探しにさまよい歩くのかも知れません。
さまようという英単語「Wonder」に「Land」を付けると「ワンダーランド」となります。
「不思議の国」とも訳されますが、「おとぎの国」や「すばらしい所」という桃源郷と同じ意味でも使います。
理想郷は、自ら探し歩くしか無いのかも知れません。
私達はサロン様を数多く回る仕事柄、サロンオーナーの皆様から、「今どんなサロンが繁栄しているの?」と聞かれる場合があります。
推測するとオーナー様方は、店づくりや立地、技術メニュー構成、料金体型、宣伝方法などの成功事例の答えを期待して質問されてきていると思います。
ところが私達からは、期待された項目を使って繁栄店の特性をお答えすることができないのです。
例えば、同じような商店街立地で、駅からの距離が同じぐらいで、スタッフ構成や経験も同じで、使用商品も技術も料金も変わらず、内装時期や規模も似ており、営業施策も同じ店が仮にあったとしても、繁栄度合いは違ってくるものなのです。
何をやったから、何を使っているからで、売上げが大きく伸びることも、客数が大幅に増加するということも、一般論としては有り得ない時代だと感じています。
例外があるとすれば、消費者に極めて認知度合が高く、人気もある商品(技術)で、それを提供できるサロンが少ない場合(需要大&供給不足)のみだと思います。
その例外的状況下でも、お店がその超人気技術(商品)を取り扱っていると消費者が知らなければ、来店は期待できないと思います。

《ユートピア》

ユートピア(Utopia)はイギリスの思想家トマス・モアが1516年に出版した著作のタイトルで、その中に登場する「現実には決して存在しない理想的社会」、「すばらしく良いがどこにもない場所」のことを言い、「理想郷」の他に「無可有郷」と訳されました。
さて、「繁栄しているサロンの共通点」についての法則は無いと前項で言い切りましたが、逆に「このようなサロンは繁栄している確率が高い」という経験則は感じることがあります。
それは、全スタッフが「生き生きと働き活気あふれる」、店中が「明るく元気が良い」、「テキパキきびきびと対応している」、「皆が挨拶して、皆で気を配っている」、「長時間居ても居心地が良い」、以上の要素を複数持っているサロンはかなり高い確率で繁栄店になっていると感じます。
さらに深く言えば、「スタッフが美容という仕事に誇りと喜びを持つ」、「お店とお客様サービスに愛情を持つ」サロンがユートピアに近いサロンで、それによりお客様は来店することに大きな幸せを感じることになるのだと思います。
目指す理想郷はお客様によって多少違うとは思いますが、幸せを感じているスタッフからサービスを受けることは、お客様にとっての最良の喜びとなるのです。
そして、このような活気あるお店の印象は、お客様が扉を開けて入り、30秒で判るものだと言います。
短時間で購入を済ませる物販店の場合は、店やスタッフを気に入らなくても、どうしても欲しいものがあれば、我慢してその店で購入する場合もあるようです。
しかし、長時間を過ごすサロンビジネスは、優れた技術を受けられるとしても、居心地が悪い感じを持ったまま長時間我慢する事の方が強く印象に残り、それにより次回来店への黄色信号となる場合も多いのです。
お客様が元気になり、勇気づけられる、明るく活気ある理想郷をつくりましょう。

《エル・ドラード》

15世紀中ごろから17世紀中ごろまでを大航海時代と呼んでいます。
ヨーロッパ人によるインド、アジア大陸、南米大陸などへの植民地化も視野に入れた海外進出の時代です。
その中心国のひとつであるスペインでは、当時南米アンデス山脈の奥地に「黄金郷」があるとの伝説が伝わり、それを「エル・ドラード」と呼んだそうです。
現にアンデス地方では金の採掘と装飾技術が発達しており、正に「黄金郷」と呼べる地域があったようです。
16世紀初頭までは、コロンビアのグアタビータ湖周辺でその地の首長が全身に金粉を塗り儀式を行う風習を持っており、それが基で「黄金の人」を意味する言葉「エル・ドラード」が生まれたとのこと。
それよりも前、14世紀初頭には、ヴェネツィア共和国商人のマルコ・ポーロが口述した話をルスティケロ・ダ・ビザが書いたという「東方見聞録」に、「中国の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国がジパングで、莫大な金を産出し、黄金でできた宮殿があり、財宝に溢れている」と書かれています。
黄金宮殿は平泉の中尊寺で、黄金の国ジパングは日本だとの説が有力とされます。
大航海時代は経済が発達化し、王族が支配する封建制度が揺らぎ始め、資本主義への入口を迎えつつある時代でした。
国家も富を求め、個人も私的富を求めて世界中へ出て行く、そんな時代に黄金郷伝説が生まれたのです。
昨年のリーマンショック以降、実体の無いものに過剰な投資を繰り返し、余ったお金が世界中を駆け巡って、本来は無い価値まであるように見せかけてしまうといった、「行き過ぎた資本主義」が破綻し、現在は、あるべき姿の資本主義に戻ろうと調整段階に入ったと主張する経済学者もいます。
経営学の父と呼ばれるオーストリア生まれの経済学・最初のコンサルタント・故ピーター・ドラッカーは以下のように言っています。
「組織はすべて、人と社会をよりよいものにするために存在する」「企業(個人事業主も含め)は何の為にあるかは、人々に生計の手段、社会とのきずな、自己実現の場を与える存在だ」と。
経営する行為は世の為、人の為だというのが、ドラッカーの経営思想の神髄です。
ところが、「利益は今日事業を行い、明日さらにいい事業を行うための条件」なのに、利益そのものを目的であると履き違えてしまうから、金儲けがなぜ悪いのかと開き直ったり、自分達だけお金持ちになれば良いという発想がでてきてしまう。
「経営者たる者、社会の公器としての企業を考えよ」「企業たるもの、社会の安定と存続に寄与しなければならない」とドラッカーは論じています。
ところが、近年は楽しても金が金を生むといった、マネーゲーム的投機がはびこり、そういった人々は「黄金郷があるに違いない」と一攫千金エル・ドラードを求めてきたのだと思います。
本当は、皆の幸せを目指して、理想郷ユートピアを求めていかなければならないのに、目的を見失っていたように小生は見えます。

《シャングリラ》

シャングリラは英国の作家ジェームス・ヒルトンが1933年に出版した小説『失われた地平線』の中で書いた楽園の名前です。
小説の中ではヒマラヤ山脈近辺にあるとの設定だったのがシャングリラで、こちらも理想郷と訳されます。
ヒルトンはインド仏教の経典に出てくるチベット地方の理想の仏教国「シャンバラ」をモデルとしてシャングリラを考えたといいます。
「シャンバラ」の語源はサンスクリット語で、幸福を「維持するもの」、または幸福を「育てるもの」といった意味があるそうです。
ロックファンは1970年代前半にスリードッグナイトが大ヒットさせた曲「シャンバラ」や、ブラジルバンド・アクアリアのセカンドアルバム名、日本人バンド・デッドエンドのアルバム名、カシオペアから独立した日本のバンド名等を思い出されるかも知れません。
桃源郷が平和で穏やかな楽園、ユートピアが組織的制度的理想郷をイメージしたとすれば、シャングリラやシャンバラは宗教的面も含めた心を重視した理想郷のイメージと思います。
さて、皆様方のサロンはお客様に対して、どの理想郷になることを目指していかれるのでしょうか。
戦後のモノの無い時代からモーレツに働いて高度成長を成し遂げ、三種の神器や3Cを手に入れて、モノを持つことが心の充足につながる豊かさだと信じ切ってて走ってきた日本国民だったのではないかと感じます。
しかし、気がつけばモノがありあふれ、買う事によっての満足感は減ってきていたのではないかと思います。
それでもモノが売れていたというのは、その多くが近年は買い替え需要でした。
こういった買い替えという消費は、将来の所得や雇用が不安定な時には我慢することができると言われます。
例え不景気が解消しても、廃棄するにはエコ意識が邪魔し、処分料金が掛かることも含め、今後も買い替え我慢の心理は大きく変わらないとの見方もあります。
所得を他の方面に向けたほうがいいと考える人が増えてくると考えられています。
とりわけ、健康と美容、スポーツ、心の充足の分野は有望と言われています。
モノから教育や文化という、形の無い部分に消費が移っていくとも言われます。
『物事を「物」と「事」に分ければ、ひと昔前まで、売るのはもっぱら「モノ」だったが、ここ数年来、ヒット商品番付けの上位を占めているのは、ほとんどが「コト」である』と広告批評家でコラムニストの天野祐吉氏は説明しています。
先進国の産業はモノづくりからサービスへと大きくシフトしているにもかかわらず、日本の景気対策は旧来的な製造業中心の考え方から転換できておらず、例えば医療・福祉などは非常に規制的な制度下にあります。
医療・教育・介護・美容・健康など、モノづくり以外のサービス産業分野への理解が足りず、活性化や雇用拡大への有効な政策を打てていない様にも見えます。
それでも、私達の業界にとって待ちに待った時代が目前になってきたと思います。
心の充足感を求めて来店される方を、低単価短時間でお返しするのではなく、心豊かに時間をゆったりと楽しんでいただけるよう、またワクワクする時間を味わっていただける様に、満足いただけるメニューや空間、何より人生を活気づけて差し上げられるスタッフを準備していく必要があります。
お客様に小さな喜びと感動を塵が積もるように積み重ね、山のような幸せを感じていただく努力が大切と考えますがいかがでしょうか。
「朝日ネクスト」から早大教授・榊原英資氏と慶大大学院ビジネススクール准教授・小幡績氏のコラム、立命大客員教授・ドラッカー学会代表・上田惇生氏のお話を参考にしました。