『木で鼻をくくる』 ― ビジネスでの対人関係の基本を考える ―
タイトルの諺は、人に対する態度が、冷たくってそっけない様子を表すのに用いられます。
ひどく無愛想な態度で応対し、冷淡にあしらうことの意味でも使われます。
『くくる』は、こするという意味の『こくる』が変化したものだそうです。
木で鼻をこすってもしっくりこない事から諺になったそうです。
人は感情の動物ですから、自分に自覚が無くとも、相手の感情を逆なでしてしまったり、そこまでいかないまでも、相手に言葉にできない違和感を覚えさせたり、距離感を感じさせてしまって近寄りがたい雰囲気を発してしまったりする場合があるのです。
ビジネス上でこれが出てしまうと大変です。
ましてや、長時間滞在いただき、安らいでいただくことも必要な、サービス業であるビューティサロンビジネスの我々が、お客様にそんなことを感じさせてしまうと命取りになります。
今回は、気持ちよく仕事ができ、社員間や対お客様との良い関係が構築できるようなメンタルヘルスと親密感の構築について考えてみたいと思います。
《木に竹を接ぐ(つぐ)》
今度の諺は、不自然で筋が通らなかったり、調和や釣り合いがとれなかったりするたとえで使われます。
種類のまったく異なる竹を木に接ぎ木することは、不釣り合いのもとだという意味で使われる様になりました。
英語では、『Mixing fire with water.』(火と水を混ぜ合わせひとつにする)と表現するようです。
人の行動を左右するものは心の中なのですが、総てを意識した上で行動しているのではなく、自らが認識できていない部分(潜在意識や無意識)により行動の大部分(95%以上との説も)を占めていると聞きます。
一人ひとりの感情だけで意思決定が行われているものでもなくて、各人のそれらが合流して独自の集団性格といわれるものが意識しない部分でも出来上がってきて、組織的行動理論という、動きの判断基準のようなものが出来上がってきます。
例えば、同じ企業で同時に研修会を受けて、同じ会議に出席して、同じ企業理念を植えつけられて、同じ上司の監督下にありながら、支店同士でまったく雰囲気や行動、判断などが異なってくるのは、構成員の考え方や感情によって、この集団性格や行動理論が違ってくるからなのです。
ところで、人は自分の持っていない正反対の特徴に一番の魅力を感じると言います。
逆に、自分自身が持っていて自らが否定したい嫌いな部分を、平気で出せる人がいた場合には、潜在的にその人に対して苦手意識を持ったり嫌悪感を抱いてしまったりする場合もあります。
企業やサロンの理念とは、共通意識であり、この部分や一緒に目指す目的でつながっていくことによって、一番根っこになる集団性格が共有されるのです。
理念の他にも、ビューティサロンビジネスに従事される人々は、ほぼ例外なく『人に喜んでいただきたい、そうして喜んでいただく顔を見たい』という共通の人生哲学の様なものをお持ちだと思います。
ですから、そういった組織の理念や、人生哲学といったものを最も大切な共通認識として皆で確認し合って行動の柱として強く意識づけていくのです。
こういった根本部分での共通認識がなければ、それぞれの基準が独り歩きを始め、木と竹や火と水が混ざらずに不安定な状態で混在する集団となってしまいます。
お客様は安らぎを求めていらっしゃるので安定感には敏感で、スタッフ間のギスギスしたやり取りや不安定さには敏感に反応します。
スタッフそれぞれの個性の輝きは魅力で、店舗の大きな強みや魅力にもなるのですが、個性が妙な形でぶつかり合う不安定な状況は、木に竹を接ぐことに他なりません。
根っこの部分の理念や姿勢だけを集団に強く認識づけた上で、ミーティングや対個人での話し合い、そしてみんなで遊びに行くことなどで健全な集団性格や行動理論をつくっていくしかないようです。
それが組織リーダーの役割です。
そんな健全な集団が、木も竹も個性として武器にできるのです。
《木に縁(よ)りて魚を求む》
次の諺は、方法や手段が見当違いだと、とうてい成功する見込みはないという意味で使われる諺です。
木によじ登って、絶対にそんなところから得られるはずの無い魚を得ようとする意味から使われるようになったとのことです。
中国の古典『孟子』に載っている古い話から出ているそうです。
意味の近い諺では、『天を指して魚を射る』もあります。
英語では、『You ask an eim tree for pears.』(ニレの木に梨を求める)と表現されるようです。天を弓矢で狙っても魚を射ることが出来ないように、方法(力量)を誤れば目的を達成することができないということです。
また、叶わぬ見当違いな望みを抱くことという意味もあります。
人生には、上には上があり、望めば叶う相応のものと、いくら望んでも叶わぬ見当違いのものがあります。
逆に、下には下があり、決して今が不幸せということも言いきれません。
高望みをせず、現在の自身の力量に応じた望みを持つことで満足する大切さもいっています。
このことを表わす諺では、『蟹は甲羅に似せて穴を掘る』 (カニは自分の大きさに合わせて穴を掘るところから、人はその身分や力量にふさわしい言動をしたり、望みを持ったりするということのたとえ)もあります。
手っ取り早く成功しようと思うと、同業者や異業種の成功例の良いところを真似ていこうとしがちになります。
そう言った良いところを学ぼうとする姿勢そのものは、決して間違いではないと思います。
しかし、表面的に、手っ取り早く、短絡的に、仕組みのみを、一部だけ、といった形で真似てみても、簡単に成功する時代で感情によって、この集団性格や行動理論が違ってくるからなのです。
ところで、人は自分の持っていない正反対の特徴に一番の魅力を感じると言います。
逆に、自分自身が持っていて自らが否定したい嫌いな部分を、平気で出せる人がいた場合には、潜在的にその人に対して苦手意識を持ったり嫌悪感を抱いてしまったりする場合もあります。
企業やサロンの理念とは、共通意識であり、この部分や一緒に目指す目的でつながっていくことによって、一番根っこになる集団性格が共有されるのです。
理念の他にも、ビューティサロンビジネスに従事される人々は、ほぼ例外なく『人に喜んでいただきたい、そうして喜んでいただく顔を見たい』という共通の人生哲学の様なものをお持ちだと思います。
ですから、そういった組織の理念や、人生哲学といったものを最も大切な共通認識として皆で確認し合って行動の柱として強く意識づけていくのです。
こういった根本部分での共通認識がなければ、それぞれの基準が独り歩きを始め、木と竹や火と水が混ざらずに不安定な状態で混在する集団となってしまいます。
お客様は安らぎを求めていらっしゃるので安定感には敏感で、スタッフ間のギスギスしたやり取りや不安定さには敏感に反応します。
スタッフそれぞれの個性の輝きは魅力で、店舗の大きな強みや魅力にもなるのですが、個性が妙な形でぶつかり合う不安定な状況は、木に竹を接ぐことに他なりません。
根っこの部分の理念や姿勢だけを集団に強く認識づけた上で、ミーティングや対個人での話し合い、そしてみんなで遊びに行くことなどで健全な集団性格や行動理論をつくっていくしかないようです。
それが組織リーダーの役割です。
そんな健全な集団が、木も竹も個性として武器にできるのです。
《木に餅(もち)がなる》
木に餅がなるとは、あり得ない事や話がうますぎることのたとえで使われる諺です。
戦後に外資系企業の進出とともに、近代的なマーケティング手法というものが日本に持ちこまれました。
それまでの日本古来の商いの在り方は、一対一の対面販売で店舗や行商で行われてきた筈です。
まず人との信頼関係、そして店舗への信頼関係といった様な、信用して物を買う、または近くでそこでしか手に入らないという購買方法だった筈なのです。
非常に人間的な付き合いや好み、そして原始的な方法で商いされてきたと思います。
そこに、海外から近代的マーケティング理論が持ち込まれてきたのです。
戦後日本が人口増大しながら高度成長して、マーケットが大きく拡大していく過程で、マス(大規模)マーケッティング的なブランディングをつかって外資系企業が乗り込んできました。
テレビ受像機が増えていく過程で、コカコーラやバヤリース、マックスファクター等、貿易自由化が進んだ分野から次々と、ブランド名を植えつけてシェア獲りする方法で入ってきました。
日本企業が懸命に自社商品の特徴を宣伝している時代に、彼らはブランドマーケティングをしかけていたのです。
物が無い時代に、新しいモノが次々と生まれて、それを欲しいと思い手に入れることが、最優先の大切なことでした。
近くの店などの様に選択肢がそう無いところから、そこで扱える少ない商品アイテムの中で選んで、欲しい願望を満たす消費行動だったと思います。
ですから、細かい機能で消費者の希望を満たすより、単一の商品でシェアを大量に占めることに重点を置かれていたのです。
自動車であればトヨタや日産、家電であればナショナルや日立、化粧品であれば資生堂や鐘紡が、チェインストア的系列販売網の整備をし、商品シェア獲得合戦をしていったのです。
そこには、日本的な地域の人間関係重視の結びつきも視野に入れた、日本企業独特のマーケティングもあったと思います。
前述したブランドを売り込んできた外資企業が、マーケティングでパワーを発揮してきたのは、高度成長が続き家庭に一定量の必需品が入っていった後だと思うのです。
ターゲット消費者を明確にして、男女別、年齢別、地域別、気候別、ライフスタイル別など細かく区分して、商品を分けたりプロモーション手法を変えたりするターゲットセグメンテーションで、きめ細かいマーケティング効果を発揮してきます。
従来の日本にはなかった手法でもあったので、外資系企業が日本での販路拡大する効果があり、日本企業もそういったマーケティング手法を学ぶきっかけになり、国内の大手企業は社員を勉強の為に欧米各国に送りました。
消費者志向のモノ造りでニーズ(不足感)を満たす時代を経て、消費者の形になっていない願望や欲求(ウォンツ)を掘り起こすところまでマーケティングの実践は進化し、先月号で述べたように販売システムもそれに合致し変化してきました。
既にインターネットを介在した次の時代に入っており、行商時代~戦前までの形=品揃えがあるものを手にとって、その場で購買決断しなければならない=そんな時代は終わったのです。
量販店に行き製品の違いを係員から説明を受け、違いを認識できて購買の意思決定をしたら、そこでは買わずに型番を覚えて帰り、自宅でインターネット検索をして、どこで購入するかを決定する人もいるようなのです。
勿論、価格のみではなく、画面で安心感も確認しての行動です。欧米から持ち込まれたマーケティング理論も、批判を恐れずに述べると、狩猟民族型に消費者ターゲットを定めて捕まえていく手法で、高度成長期には良いが、人口収縮期に末長く一生お付き合いしていく生涯顧客創造型を目指すような時代と、農耕民族型の日本の手法には合わないとの説もあるようです。
フェイスブックを利用して交流する人が全世界で9億人に達し、インターネットを利用できる18億人の約半数が使い始めていますが、これは狩猟民族型コミュニケーションから、農耕民族型友達拡張コミュニケーションへの変化とも言われています。
友達の親密感が、誰から買おうか、安心して買えるかの判断基準になる可能性があると指摘されていますがいかがでしょうか。