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『画竜点睛(がりょうてんせい)』 ― 今年の成長と飛躍を願って ―

2012年01月20日

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新しい年を迎え、早20日が経過しようとしています。
光陰矢のごとしと申しますが、1年の内の18分の一の日数が既に終わったともいえます。
今年1年が皆様にとって、『有意義で充実した1年だった』と振り返って終えることができるように願っております。
昨年の兎年のスタート時に、『脱兎のごとく走る』、『跳躍の年』、『二兔を追わず一兎を』とウサギの諺を使って書きましたが、振り返ってみて皆さまは跳躍できましたでしょうか。
脱兎のごとく走れたでしょうか。
今年は辰年です。
昨年跳べた方も跳べなかった方も、跳躍どころか天にまで駆け昇る飛躍の年にしたいものです。
新年第1号は辰に因むお話からスタートします。
さて、タイトルの諺は、最後のもっとも大切な部分を仕上げて、全体を立派に完成させることの意味で使われます。
ちょっとした言葉や行為によって全体を引き立たせることができた時などに用いられます。
また、ものごとの最も肝心なところそのものを指して使われることもあります。
『画竜』は絵に描いた龍のことで『睛』は瞳の意味です。
中国の古典『歴代名画記』の故事に基づく諺だそうです。
梁の国の時代に、著名な絵師が寺の壁に竜の絵を描いたが、瞳を入れると竜が飛び去ってしまうからといって、最後まで目には筆を入れなかったそうです。
しかし、それを人々は信じないので、目を書き入れてみせると、竜はたちまち天に昇ったという逸話が載っています。
最後の仕上げの良し悪しで、仕事や作品の完成度が驚くほど変わってくることがあります。
仕事のできる人はそんな勘所をしっかりと押さえることができていて、少しの違いなのに大きく出来栄えが違って見えることもあるのではないのでしょうか。
それをこだわりと呼ぶのかも知れませんが、納得感や充実感を味わえることを繰り返していって、満足できる一年にしていきたいものです。

《画竜点睛を欠く》

反対に、最後の大事な仕上げが不十分だったり落ち度があったために、全体が不完全になってしまったり、引き立たなかったりした場合に使われるのが、『画竜点睛を欠く』です。
近い諺では、『仏作って魂入れず』があります。
苦心して作った物が肝心なところを抜かしたために何の役にも立たなくなること。
仏像を作りながら肝心の魂が入っていない意味から使われます。
つまり、竜の絵の最後の目を書き忘れたり、死んだような輝きの無い目を書き入れてしまったりするようなものです。
英語では、『Plowing the field and forgetting the seeds.』(耕したのに種を蒔き忘れる)と表現されるようです。
今の世の中は、良い製品を作ってもそれだけでは拡がりません。
良くできた製品というのは当り前で、それは最低限の条件にしか過ぎないと思います。
そこに仏に魂を入れる行為、竜に活き活きとした目を入れるような行為が必要だと思うのです。
一昔前には、それを付加価値と呼び、宣伝方法やパッケージ、キャッチコピーやポップ、セールストークや販売形式や制度の整備、ご紹介のスキルの教育などが必要とされていました。
現在は、そういった仕組みの良し悪しだけでは拡がっていかないと思うのです。
時代が変わってきていると思えるのです。
小生の考えでは、人の言葉や一手間をかけることで、自分は大切にされているのだという感動や共感を得て、人が初めてアクションを起こすように、何らかの人を介在とした動機が必要だと考えているのです。
以前の、みんな買っているから、みんな持っているからというマジョリティ(大多数)の購買行動は起こりにくくなっていて、私の夢を叶えてくれる私のこだわりの品(ヘアスタイル)といった、特別なもの(オンリーワン)を探し求めていく姿勢がはっきりと消費行動に現れて来ている気がしてならないのです。
それは、物質的なものではなくて、心の動きであり、個人ひとりひとりの心の中に存在するものだと見えるのです。
インターネットの発達による新しい人と人の触れ合いは、本当は極めて人間的な信頼感での結びつきであり、現実の生活が忙しくて追いたてられた人々が、他の人との親密感を持ちづらくなった社会構造の代わりとして、結びつきをインターネットに求めている結果だと思うのです。
ですから、インターネットでの信頼できる方からのご紹介や、ご推奨などのナマの情報で、一人の個人としての心が動いた時に、消費者の心が動く可能性もあると思うのです。
私達の様な商事会社であれば営業の場面で、サロンビジネスであれば技術や店販の時点で、そのお客様のお気持ちを察して差し上げ、そのお客様に独特で特別な何かをひと手間かけて人間臭く提供してあげることが大切と思うのです。
竜の絵に書き込む目、仏に入れる魂とは、相手の心に寄り添う気持ちではないかと思うのです。

《登竜門》

竜門とは黄河の上流にある急流のことだそうです。
この難所を乗り切り、登ることのできた鯉は竜になれるとの伝説に基づいた諺で、中国の古典・後漢書に登場します。
出世の糸口になる関門のたとえで使われます。
竜になるためには命がけで向かっていかなければ、本気を出して泳ぎ切らなければといっているように小生には思えます。
川には、広くてゆったりとした流れのところもあります。
そこは悠々とゆったりと気持ちよく泳いでいれば良いのです。
そこは餌になる藻や苔もたくさんあるし、小魚もたくさん住んでいるかもしれません。
しかし、そこは居心地が良い場所かもしれませんが、よどみやすい場所でもあるのです。
『流水は腐らず』の諺通り、勢い良い急流は腐らずに清い流れなのです。
竜になる目標を立てたとしたら、急流に向かっていく本気度が必要なのではないでしょうか。
一度で登れない鯉は何度も何度も竜門にアタックし続けます。
スタミナとしてはダメージを受けても、急流で徐々に筋力が上がり、泳ぎ方の対応能力を徐々に身につけて、登竜門突破の鯉が出てきます。
鯉が竜に変身するがごとくに、大きく変貌する為には急流をものともせずに向かっていく全力の姿勢が必要なのです。
向かい風を帆に受けて全速力で進むヨットのように、向かい風を受けて滑走路を全出力で飛び立つ飛行機のように、全力で真っ向勝負を挑むから成長があると思うのです。
それでも登れない鯉がいるかもしれませんが、舞台に上る前提条件は全力で命がけの努力をすることで、それが無ければ登竜門にアタックできるチャンスは無いのだと思うのです。
結果は『天命を待つ』ことになりますが、天命を受けて文字通り竜は『昇天』できるのではないかと思います。
今まで通りにじっとしている状態では急流を登れない社会環境、経済環境なのだと肝に銘じておきたいと考えています。

《竜頭蛇尾》

頭は竜のように立派だが、尾は貧弱なただの蛇のようになってしまうといった意味から、はじめは勢いがすさまじいものが終わりになると、さっぱり振わなくなることのたとえで使われる諺です。
これも中国の古典・五灯会元から出たそうです。
近い諺ですと、『頭でっかち尻つぼみ』があります。
英語では、『Going up like a rocket and coming down like a stick.』(ロケットの様に上昇して、棒の様に落下する)と表現されるようです。
年の初めには皆さん目標を立てられたり、初詣で願をかけられたりします。
しかし、最初の勢いは何処へやら、声高らかに宣言してきたことが徐々にトーンダウンしていって、達成できないどころか目標すら忘れてしまうなんてケースもあるのではないでしょうか。
子供たちが小さい頃にお年玉を渡す際に今年の抱負や目標を語らせてから渡しておりましたが、12月になって「どうだ、目標通りにいったのか?」と尋ねると本人たちはコロッと忘れていて、親しか覚えていないなんて年もありました。
達成できた年とできない年の違い、できる人とできない人との違いはどこにあるのでしょうか。
まずは、思いの強さだとも言われますね。
絶対できない訳はないと、できると信じてできる為の手段を常に意識して考えて修正を加えながら目標に向かっていく強い思いです。
できないかなぁって思って立てている目標は、できないものなのです。
ノミは自分の体の100倍近い跳躍力を持ちながら、透明なふたをされた容器の中に入れられ続けると、跳んでも頭をふたにぶつけてそれ以上跳べないので、自分はそれしか跳べないと思いこみます。
そうすると、ふたを外して自由に跳躍できる環境になっても、しばらくはふたをしていた高さの下ぐらいまでしか跳ばないのだそうです。
アジアゾウは子供の頃から飼いならされるので、後ろ足片足を鎖と杭につながれます。
初めてつながれた時は暴れて杭を抜こうと抵抗するそうですが、無理だと判ると諦めて抵抗を止めます。
巨大でパワフルな大人の象になって、杭や鎖を抜いたり引きちぎったりできるような力を持っても、大人しく子供の頃の杭につながれるそうです。
抜けないもの、引きちぎれないものと思い込んで成長してしまっているのですね。
こんな思い込みをしてしまっている人達に、経営者や上司、先輩が、低いフタをしてしまっていたり、鎖につないだりしている場合もあると思うのです。
本当は、大きく飛躍できる潜在能力を持ちながら、周囲がそれにブレーキをかけてしまっている場合もあるかもしれませんし、ご本人が気付かずに自分でフタをしてしまっているものを、周囲がフタを外してあげて自信を持たせる必要がある場合もあると思います。
自分で自分のことが一番分っているように思えますが、実は一番自分自身の良いところが見えづらいという面もあります。
次に、思いを念じて何度も人に語り、それで自らの思いが強くなり、人からの後押しや応援で実現可能性が高まるという面があります。
思いを伝える回数と、伝える人の人数で達成可能性が高まるといわれています。
叶うという文字は口に十と書きます。
1人の人に自分の叶えたい目標を最低10回はその目標を聞いていただくと、何とかしてあげたいと聞いた側は強く思い、応援を得られるので実現可能性が高まるといわれます。
それを最低10人に話すと、計100回以上目標を口にすることになり応援者の後押しも拡大します。
何よりも自分の思いを100回以上人に語ることによって強固になり、自分の深層心理に深く埋め込まれて、実現のための行動を無意識にしていくようになるとも言われています。
さらに、100回以上公言しているのですから、引っ込みがつかなくなる上に、応援もあるので、自己の強い達成意識が芽生えます。
ただし、弱気な言葉は吐かずに、前向きな姿勢で語ることがポイントです。
叶うの文字は、口にプラス(+)とも読めるのです。
これにマイナス(-)言葉が入ると、吐く(±)という字になってしまいます。
吐くは、グチだとか弱音だとか、良くないものが口から出る場合に使われる言葉の様です。
もうひとつ、目標を具体化してプロセス管理するということもポイントです。
例えば、年末までに15㎏減量しようという目標を立てたとします。
では、それを達成する為には明日から何をして、一週間後にはこのラインまで行く為に何をするか?…2週間後、3週間後…一ヶ月後、2ヶ月後…そして目標の12月末までと、具体化、進度チェック、実行方法の修正といったプロセス目標を意識していくことです。
1か月経過時の目標に1㎏足りなければ、ジョギングの距離を計画より増やしたり、サウナに行く回数を増やしたり、晩御飯のカロリーをもう少し減らすといった修正を図るのです。
漠然とこうなりたいという願望は誰もが描きます。
15㎏の減量は誰でも口にできるのです。
これを結果目標と呼ぶそうです。
しかし、強い思いがあるかないかの差は、どうしてもそうなる為に、細かく中間目標を立てて、そのために何をやるかを計画化し、達成度を追いかけて修正していくプロセス管理が必要です。
勿論、習慣化させることがまず一番大切で、中間達成のご褒美や楽しめるやり方など、やらなければならない義務感ではなくて、ゲーム感覚の様な楽しめるやり方が習慣づけには必要です。
そして、人間ですから決意が折れることもあるので、肩をたたいたり声をかけてくれたりする仲間をつくっていくのもポイントだと思います。
皆さまにとって本年が、『竜頭蛇尾』にならぬよう最後まで『画竜点睛』な一年となって、『登竜門』を越えて、天にまでも登れるような、思いが叶う年となりますようにお祈りいたします。