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『船頭多くして船山に上る』 ― 目的と手段を認識する重要性 ―

2011年11月20日

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前号同様、船の諺で考えます。
タイトルの諺は、指図する人が多すぎて統一がとれず、目指すところと全く違う方向に進んでしまったり、とんでもない方向に進んでしまったりするたとえで使われます。
船乗りを指揮する船頭が何人もいると、めいめいが勝手に命令をしたりするので、目的地どころか山にまで登ってしまうかもしれないとの戒めで使われます。
類似した諺では、「船頭多けりゃ岩に登る」「船頭多けりゃ沖に乗り出す」というものもあります。
英語では、「Too many cooks spoil the broth.」(コックが多すぎるとスープが出来損なう)と表現されるようです。
大きな組織のみならず、少人数の集団であっても、互いの捉え方が違っていると船は違う方向に進み出します。
人の考え方、捉え方は千差万別で一人一人違うことが当たり前なので、同じ指示を受けたり、同じ勉強をしたりしたとしても、一人一人が行うことは違ってしまうことは当たり前なのです。
そういう違う受け止め方をした上司や先輩(=船頭)が指示をそれぞれ出せば、船は蛇行をし始めてしまいます。
そこで皆が意思疎通を図って統一しようと動くのですが、ここで陥りがちなのは船の操縦法のような、手段ばかりを統一しようとしてしまい、目的地や海図といったような大切な目標や中間目標を見失ってしまうといった罠にはまってしまうことです。
店舗や企業の理念といったものが、その目的地に当たります。
たとえば、理美容サロンであれば、「お客様に最高の輝きを与える」とか「最良の時を過ごして頂く」、「笑顔でお帰りいただく」と言った理念をお持ちになっていることと思います。
そういった組織の目的地を見失わずに、しっかりと全員が腹に落とし込んでいれば、その目的に添った手段として、手法的な違いはあっても各人が同じ目的に向かって建設的な意見交換ができてくるものなのです。

《船頭のそら急ぎ》

実はちっとも急がないのに、人をせき立てて、まるで急いでいるようなふりをすることのたとえで使われる諺です。
船頭が「船が出るぞ」と言って客を急がせ船に乗せておきながら、なかなか船を出さないことから出て来た諺です。
船頭がまだ出航しないのに無理に仕事をつくっているようで、嫌な響きも感じてしまいます。
船長、副船長、航海士、副航海士など、船がさほど大きくもないのに役職者をつくり過ぎていくと、自ら自分達の役割をつくっていこうという人達が出てきて、複雑怪奇な余計な仕組みをつくってしまう恐れがあります。
シンプルに目的地を目指して協力していく航海から離れ、人を動かしたり、組織を維持したりすることを目的と勘違いする者達が出てくる場合もあります。
ご批判を覚悟の上で敢えて述べると、日本の官公庁や政府の中でもこの様な体質によって、立場や組織を守ることに注力してしまうような無駄が出ているようにも見えてしまうのです。
或いは護送船団方式とも呼ばれるような、日本独自のスタイルで権益を守る為に過去に創られてきた、ある面社会主義国以上の閉鎖的な保護貿易主義が、現在の国際化の流れに合わなくなって、制度的に疲弊しているようにも感じてしまうのです。
野田総理が外圧に屈したなどの批判を受けているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の参加交渉も、以前から引きずってきた日本の制度的組織的な古い体質が現状に適合できていないひずみとなって現れているようにも小生には見えてしまいます。
お話をサロンビジネスに戻すと、満足感や感動を与える為の仕事のはずが、接客技術や施術方法のテクニック論の充実ばかりが独り歩きしてしまうと、目的を見失ってしまいがちになります。
目的を見失うと、手段や方法の充実面ばかりに目がいってしまい、おもてなし心の本質からかけ離れてしまう心配があります。
私達商事会社の立場の場合では、サロン様がそのお客様に愛され、喜ばれて繁盛する店舗にしていくお手伝いをしていく目的を忘れると、目先の商売に捉われる勘違いした船頭が増えてしまい、自社の売上高だけに目をとられてしまって、企業理念からかけ離れた行動をとってしまう社員が出てくる恐れがあります。
「船頭のそら急ぎ」にならない様に、船頭(達)が理念(目的)通りの仕事になっているか、経営者が自ら水先案内人となって導いていかなければなりません。

《船は船頭に任せよ》

この諺は、『もちは餅屋』『芸は道によって賢し』『海の事は漁師に問え』等と同じ意味で、「ものごとは、どんなことでも、それを専門とする者に任せたほうが上手くいく」というたとえで使われます。
現在、読売巨人軍の経営陣の内紛劇が報道をにぎわせています。
球団代表の清武氏が球団会長で読売グループの総帥である渡辺恒雄氏を公然と批判したことで、両者の中間役職的立場にある、球団社長で球団オーナー職でもある桃井氏から逆に解任発表されるという事態になっています。
今後の人事では、読売新聞の社長で渡辺恒雄会長に近いとされる白石氏が球団オーナーも兼務して、球団経営に就くとの噂もあり、大荒れの内輪もめに発展しています。
渡辺恒雄氏が過去に発言した「巨人は一番であるべきだ」に代表される球団への強い思いが、船頭を多くしてしまった球団指導体制と相まって、乗組員の頭(ヘッドコーチ)人事にまで介入してくることになって、揉めているように小生には見えます。
船頭が多くなり、乗組員への指示が二転三転していては、荒海に乗り出して命を懸ける船員達の士気も上がらずに、踏ん張りも効かないものだと思います。
逆に、日本シリーズで熱戦を繰り広げた優勝のホークスと準優勝のドラゴンズの両チームは、どちらも練習量ではどのチームにも負けないと豪語する厳しい練習を春季キャンプから積み重ねて、チームがひとつになって戦ってきたように見えます。
シーズンに入ってからは、監督とコーチはそんな選手達を信頼しきって、持ち味を発揮できるように適材適所で起用して、伸び伸びとプレーさせているように小生には見えます。
お金をたっぷりかけて人を集め、監督・コーチの首をすげ替えるだけでは優勝はできないのです。

《乗りかかった船》

かかわりを持ってしまった以上、もう途中で手を引くわけにはいかなくなってしまうことのたとえで使われる諺です。
一度乗ってしまい、海に出てしまった船からは、もう途中で降りることはできないのです。
英語の諺ではもっと過激に、『He that is out at sea, must either sail or sink.』(海に乗り出した上は、進むか沈むかしかない)と表現されるようです。
経営者が事業を起こす際に「腹をくくる」とは、正にこういう心情なのかとも思います。
ブラッド・ピット主演で、11月11日から日本封切りされた映画『マネーボール』もプロ野球が舞台の映画です。
以前は米大リーグの有力球団だったものの、選手年俸が高騰した1990年以降低迷を続ける資金難チームのオークランド・アスレティックスを、強豪チームに変身させ、2002年には20連勝というとてつもない大リーグ新記録まで樹立させるまでにした敏腕ジェネラル・マネージャーのビリー・ビーンをピットが演じています。
今シーズン、松井秀喜が在籍したチームです。
ビリー・ビーンは、野球ライターで野球史研究家・野球統計の専門家でもあるビル・ジェームズが1970年代につくったセイバーメトリクスと呼ばれる、統計学的見地から客観的に分析し、選手の評価や戦略を考える分析手法を大胆に取り入れ、選手の評価をし直したそうです。
年俸の高いベテラン有名選手の評価を落とし、そういった選手が次々と退団をすると、他チームで居所を無くした大きな欠点もあるが大きな長所を持つ選手達を、統計学的評価に基づいて補強し、特長部分のみを生かす役割分担起用法を確立しながらチーム作りをし、常勝球団に育て上げたと言われています。
米国プロ野球の世界では、背広族は嫌われているそうです。
球団社長、編成部長、ジェネラル・マネジャー(GM)等、ユニフォームを着てフィールドに立たないのに、人事や戦略につべこべ口を挟む連中のことです。
ビリー・ビーンはGMなので、普通なら憎まれ役にされそうなところですが、映画の主役です。
ただし、ビーンはヒーローでもアンチヒーローでもない設定に。脚本家はビーンを「半端者」に設定し、野球選手として挫折を体験し、いつまで経っても自身の弱点をなかなか克服できない半端者として描いています。
そんな男がGMという権力者の立場になり、その周囲にも複数の半端者が登場します。
イェール大学出の秀才だが野球の体験がないピーター・ブランドや、実力はありながら、従来のデータ分析では過小評価を余儀なくされてしまうたくさんの地味な野手や投手達です。
彼ら半端者の意識変革によって組織が劇的に変化していきます。
彼らは吠えず、嘆かず、悪びれず、運命や弱点に押しつぶされそうになりながら、くじけずに戦いつづけていきます。
弱点の多い登場人物達が、難局を強行突破し生まれ変わっていく姿は、人は誰でも自己の持ち味を発揮したいと望めば、変身できるものだと気付かされます。
日本のプロ野球でも野村再生工場と呼ばれた、ピークを過ぎた熟練選手の残る才能を引出して活躍させる監督が存在しました。
巨人軍の現場と経営陣の不協和と比較すると雲泥の差の様です。
教訓としては、船頭を多くせずにリーダーの水先案内が大切と思いますが、いかがでしょうか。

…映画.comの芝山幹郎氏の寸評を一部引用しました