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本当にあった世にも奇妙な話  康治の怖いな怖いな

2014年08月11日

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みなさん、今日は。もとい、みなさん、今晩は。

今回のスタッフブログはマックスの市村政親こと吉田康治が担当させていただきます。

なぜ故に、もとい、今晩は。なのか?

そう、今回はお盆ということもあり、僕が実際に体験した

世にも奇妙な物語をご紹介させていただきます。

なので、ぜひ夜中に一人で読んで下さい。

 

あれは、15年ほど前のある6月の梅雨の蒸し暑い日、

父方の祖母が亡くなりました。老衰でした。

 

 

おばあちゃんは白髪でいつも綺麗にまとめ髪にしていました。

肌が白くて、品がありました。

新潟出身で、言葉に独特な、なまりがありました。

 

しつけに厳しい人でした。

子供の頃、『もういらん』と言ってご飯を残すと、

『もうたくさんって言いなさい。作ってくれた人に失礼やから』

と度々叱られました。

 

好き嫌いのない人でした。

おばあちゃんに『好きな食べものなに?』と聞くと、いつも決まって

『なんでも食べる』としか言いませんでした。

梅干しの種も食べてたし、すき焼きの時につかう牛脂も食べてました。

探偵ナイトスクープの街頭インタビュー調査で

世の中のおばあちゃんはみんな同じ事言うのを知って笑いました。

 

www.youtube.com/watch?v=9DO1Rc0j1gw

 

ユーモアが大好きな人でした。

 

いつも風邪の改源のカミナリ様の真似をしては、自分で笑ってました。

(風邪ひいてまんねん)ってね。

 

写真1

 

おばあちゃんは友達の多い人でした。

毎日のように駅前の喫茶店に通ってました。

通称おばさん喫茶というお店で、原田伸郞のふるさとZIP探偵団という、

いわゆる街ブラロケ番組でインタビューされてました。

おばあちゃんは独特のなまりで一言答えてました。

そのテレビを当時、VHSテープに録画し、

擦り切れるほど見て家族で楽しんでました。

 

そんなある日、借家から出て行かなくてはいけなくなりました。

理由はわかりません。

 

おばあちゃんは駅に近かったその家から、山の上のアパートに引越ししました。

その結果、毎日のように通っていた、あのおばさん喫茶にいけなくなりました。

 

そのことが原因かわかりませんが、認知症になり、次第に進行していきました。

僕も中学生になる頃より、おばあちゃんの家に行く回数が減りました。

 

月日が流れて、僕が24歳のとき、おばあちゃんは亡くなりました。

 

お通夜で久しぶりにおばちゃんの顔を見ました。

より一層白い肌で綺麗な寝顔でした。

悲しい気持ちよりも、全然会いに行けなかったという、

申し訳けない気持ちの方が強かったかもしれません。

 

台風が接近していた、雨と風の強い日のお通夜でした。

 

お葬式も無事に終わり、家に帰ってすぐに寝ました。

その日はとても蒸し暑い夜でしたが、疲れていたので、熟睡しました。

 

まだ薄暗い明け方、寒気がして目が覚めました。

風邪でもひいたのかな?と思いました。

 

なにげなく部屋の隅を見ると、青白い顔が浮かんでました。

ぼんやりとした形でしたが、まちがいなくおばあちゃんでした。

 

心の中で、『あっ、おばあちゃんやっ』て呼びました。

僕は会いに行かなかったのに、会いに来てくれたことが嬉しかった。

そう思った瞬間、その顔が揺れながら近づいてきて、

僕の頬をかすめてどこかに行ってしまいました。

その時、冷たい風が流れて行きました。

 

この話を、結婚して離れて暮らしている兄に、後日話しをすると、

兄も同じ体験をしたと言っていました。

 

本当に不思議な体験でした。

 

まだまだ暑い日が続きます。

おばあちゃんの教えどおり、好き嫌いせず、なんでも残さず食べて

風邪をひいたら改源を飲み、夏を乗り切りたいと思います。

 

そして、お盆休みは、お墓参りに行きたいと思います。

 

ありがとうございました。