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『待てば海路の日和(ひより)あり』 ― 待ちながら何をすべきかを考える ―

2012年07月20日

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タイトルの諺は、今は思うようにものごとがうまく行かなくても、あせらずにじっと待っていれば、そのうちにチャンスがきっと巡ってくるはずなので、辛抱強く待てというたとえで使われる諺です。
『海路の日和』は航海に良い穏やかな天候のことです。
仮に現在海が荒れ狂っていてもじっと待っていれば、航海に適した良い天気の日がやがてやってくるとの意味から使われます。
元々は、『待てば甘露の日和あり』だったものが、転じた諺だといわれています。
「甘露」とは中国の伝説で、天子が仁政(民をいつくしむ良い政治)を行う瑞祥(ずいしょう)として天が降らせるという甘い露のことで、甘露煮や甘露飴(カンロ飴)の語源といわれます。
日照りを耐え忍んで待てば、やがて甘露のような恵みの雨が降るような日和もあるに違いないとの意味の表現ですが、「甘露」の意味が通じなくなったことから「海路」と転じたとされます。
英語では、「After a storm comes a calm.」(嵐の過ぎ去った後には静けさが訪れる)と表現されるようです。
日本の慣用句「嵐の前の静けさ」の真逆の表現です。
さて、私達のサロンビューティの業界は、訪問美容を除いては来店客を『待つ』業種です。
待ちながら何をすべきかを今号では考えてみたいと思います。

《果報は寝て待て》

次に登場した諺の印象は、さらに消極的な待ちを連想されるのではないでしょうか。
まるで、棚からぼたもちが降ってくるのを、寝ながら待っている様な印象をもたれた方もいらっしゃるかもしれません。
果報とは、良い巡り合わせ、幸運、しあわせの意味だそうです。
幸運は求めようとして得られるものではなく、人の力ではどうにもならないこともあるのです。
だから、「人事を尽くした上」で気長に運の向いてくるのをじっと待ち、その時機が訪れるまで焦らずに我慢するという意味で使われる諺です。
英語では、「Everything comes to him who waits.」(待つ人に来ないものなし)と表現するようです。
英語の方が、この諺は前向きな表現の様にも受け取れます。
しかし、実は「人事を尽くした上で」運を待っているからこそ、幸運やチャンスの時がやってくるという前提の諺で、決してタナボタを期待して何も準備せずに寝て待っていることを良いと言った諺ではないと思うのです。
人はできる可能な限りのことをする努力をして、海路の日和を待ったり、果報を寝て待ったりする必要があるのです。
ところで、人事を尽くすの「人事」とは、人間の力でできることがらや、人間社会で起こる出来事を指します。
ものづくりであれ、サービス業であれ、すべての経済活動は人の働きによって優劣が決まってきます。
現代では、優劣どころか事業の存続そのものが、人の働きによって決まってくると言っても過言ではないと思います。
特に、ビューティサロンビジネスは、お客様との接客時間が長い上に、密着した距離感での仕事ですから、人間性や人間力などのヒューマンスキルの部分や、チームワークや組織力といった、文字通り人事の部分が非常に重要な要素となります。
技術力には経験的な差や、練習量、器用さ、美的センス等の違いがあって一様に扱えないかもしれませんが、人をおもてなしなしする心は人間が誰しも持ち合わせている基本的な能力で、大きな能力的な差は無いと思うのです。
意識して動けるように気付きを与えてあげられれば、潜在的に誰もが持つ、「人に尽くす心」を発揮できるように育んでいくことができると思うのです。
全スタッフがいかんなくこの能力を発揮できるようにするのが、日和を待つ前提だと思います。
さて、これからお伝えするお話の前提となることは、人間は感情で判断、とりわけ好き嫌いで行動を決定する場合が多いということです。
特に、購買行動、お店や企業や担当者を選択する場合は、好きか嫌いかで選ぶことが多いといわれます。
物が少ない時代、店舗が限られた時代には、選択肢が限られていたので嫌いな人や好ましく無い店でも買い物をしていましたが、現在までに激変しました。
人が働く職場の中でも、感情によって動く前提によって、チームワークや成果、お取引先との関係が良好か否かなど、重要なことが決定づけられてきます。
極論させていただくと、好き嫌いの感情でお客様との関係も変わり、企業や店舗の存亡にかかわるといった時代に突入してきている感もあります。
『人事を尽くして』待つ前提の一番重要な点は、お客様に大好きだと思っていただく関係をつくること、そしてスタッフ間社員間で大好きだとお互いに言い合える関係を築くことではないかと考えます。
これから、そのあたりを掘り下げていきたいと思います。

《人事を尽くして天命を》

もうひとつ、『人事を尽くして天命を待つ』という諺もあります。
力の限り努力し、それ以上は天の定める運命に委ねることを意味するもので、中国の古典『初学知要』から出た諺とのこと。
近い意味の諺では、英国の作家で医師のサミュエル・スマイルズが1958年に出版した『自助論』の冒頭で記したものが和約されて定着した諺『天は自ら助くる者を助く』があります。
『Heaven helps those who help themselves.』を中村正直が訳したものです。
英語の慣用句では、『Do your best,and let God take care of the rest.』(最善を尽くせば、あとは神がやってくれる)もあります。
人は心で動く生物です。
論理的思考で納得して総て行動している訳ではないのです。
むしろ潜在的な感情で動いている場合が多いとも言われます。
つまり、組織的に、制度的に制御しようと思っても、規則で縛っても、潜在的な心の部分が素直に反応しないまま動き出しても、充分な成果は得られなくなるようなのです。
むしろ、あの人の言うことならたとえ火の中水の中とか、あの人には良くしてもらったから精一杯喜んでもらえる様に努力して見ようといった具合に、自分自身の心が能動的に動きだす納得感が必要だと思うのです。
或いは、自分はこれが好きだ、これはどうしてもやりたい、といったような自分起源の熱い思いで心が決意をするかのどちらかが、必要だと思うのです。
つまり、役職や立場が人をコントロールする訳ではなく、制度や仕組みや組織的規範が人を動かすものでもないと思うのです。
もちろん、そういった強制的な力の制御(飴やムチ)でも、人は動くものなのでしょうが、組織構成員も皆な人ですので、自分の感情判断を歪めながら無理して指示に従っていても、個人のパフォーマンスが十分発揮できず、発揮できたとしても長続きできないと思うのです。
当然、組織としてのパフォーマンスも充分に発揮できない事になると思います。
繰り返しますが、人は感情で動く生き物なのです。
理性や規範でそれを抑え込んでも、心の奥底に抑え込んだ思いは蓄積されてきます。
蓄積された思いは、感じないように押し殺していてもくすぶり続けて、素直な行動を起こすことを無意識の内に邪魔するので、充分なパフォーマンスが発揮されにくくなってしまいます。
つまり、経営者はもちろん、マネジメントを補佐する者、管理者、指導者、上司といった人々は、その人の為には一肌脱ごうと思ってもらえる人物になっていく必要があるということです。
その為には、部下の心の奥底に対峙していくことだと思います。
上司、先輩側から心を開いて、自分の素姓をあからさまに見せて、部下の心に向き合ってあげることなのだと思います。
書くのは簡単ですが、先に自らの心の自己開示を実行するのはかなり困難なことだと思います。
上司の側にも感情があり、生まれてから作り上げてきた考え方、主義主張、好き嫌いの志向等があるからです。
一度そう言ったものを総て取り去って、先入観なしで、部下の考え方を共感の姿勢で受容してあげるのが第一歩かと思います。
受容とは、総てをいったん受け入れてあげることです。
そうすることで安心して、相手が心を開いていく事ができます。
途中で口を挟まず、自分の意見と違っても反対せずに、まずは共感して認めてあげることです。
部下への人気取りや、すり寄っての迎合をするということではありません。
総てを一度、受容と共感した上で、部下の気付かない事や、巧くいく方法、上司である自分の知恵などをその後に伝えていけばいいのです。
部下、後輩の将来の為、素敵な生き方の為に、自己の持っている智恵を伝えていってあげるのが、上司、管理者、経営者の役回りなのです。
発達心理学の考え方の中に「ラポロ―チメントの危機(Re-approachment)」と呼ばれるものがあるそうです。
ちょうど歩き始めたばかりの頃、赤ちゃんが好奇心にかられてお母さんから離れて遊びに行くのですが、ふと不安になって振り返り、お母さんが自分を見ていてくれるかどうかを確認する瞬間があります。
その時、お母さんと目が合って、お母さんの笑顔を確認できれば、赤ちゃんは冒険の旅を続けられるのですが、お母さんがそっぽを向いていたりすると不安に耐えられずにお母さんのもとに戻ってくる子が多いようです。
さらに、戻ってきた赤ちゃんをお母さんが何らかの理由(食事の支度で忙しいなど)で、(一時的にせよ)拒むと赤ちゃんはなかなかお母さんのもとから離れなくなる、と言われています。
いったん離れた子供が、再度母親に近づくところから「Re-approachment」(ラプローチメント、再度近づく)時の危機、と呼びます。
「危機」というくらいですから、この瞬間が、子育てにとって「危険」でもあり「チャンス」にもなる分岐点なのだそうです。
お母さんの元をなかなか離れられない子になるか、一人でも(お母さんに見守られているという安心感を得て)自分の好奇心に従って行動できる子になるか否かの大切な局面は大人である私達にしても、似た経験を沢山しているのではないでしょうか。
自分のしていることが果たして期待に見合っているのか、受け容れてもらえているのか、気にかかるものです。
さりげなく上司の目を伺い、その言葉尻や、何気ない仕草、ふるまいの中で自分はどう見られているのか探ろうとします。
そんな時、自分の仕事を見ていてくれる上司の眼差しを感じられると大きな勇気をもらえます。
「見てもらっている」という信頼が、前に、前に、と進む人の支えになるのです。
それには、部下が「振り返った」ときに「見ているよ」と言葉で、あるいはしぐさで伝えることが大事だと言われます。
目を配る側も、どうやら環境に慣れてきたらしいと思えば任せても大丈夫と安心しがちです。でも、自発性、挑戦する心は、上司の「眼差し」が作るもの。
順調に船出したかに見える人の、ひそかな「不安」をしっかりと受けとめる「目」を持てるといいと思います。
お客様も同様で、一人でくつろがせてと言っている場合でも、実はさりげなく見守って私の望むことをして欲しいと、無言の発信をしているのです。

《急いては事を仕損じる》

計算言語学者、認知心理学者で、脳機能科学者でもある苫米地英人氏の著作『頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』の中で、「自分」を紹介してみるとういう話があり、「北海道の出身で」「○○という会社に勤めていて」「東京の世田谷に住んでいて」「サッカーの○○を応援していて」「おでんが好きで」「○○の資格を持っていて」「明るくてノリのいい性格で」等の紹介…それらすべては、「自分という存在そのもの」ではなくて、全部「自分と関係のある存在」の情報だということです。
どんなに言葉を並べて、自分を紹介しようとしても、人は自分以外の点についてしか話せないもの、なのだそうです。
私たちの頭は他人でいっぱい、自分の信念だと頑固にこだわったところで、それは周囲から影響を受けて身にまとわってきた他人を自分に移し替えた姿で、それを基に他人の目を気にしてモヤモヤしてしまうのが人間。
そもそも、スタッフ間であれ、お客様との関係であれ、知り合ったばかりでは、お互いに何も知らないので、警戒心の塊です。
だから、信用もない興味もない状態から脱出するのが先決です。
悲しい話ですが、多くの人は「信用もせず」、「興味もない」そんな状態から付合い始めます。
お互いに知らなければ、知らない人の提案に興味はもてません。
自分自らが、私(私達)はこういう思いですよと、自己開示を行っていない(不十分な)状態だと好きになってもらえる人間関係はなかなかできないのです。
これを解決せずにいると、長い間の良好な関係がつくれない状態のままとなります。
お客様とでも、職場内でもです。
ビジネスライクに仕事の話に入る前に、じっくりと人間関係作りが今こそ必要、そんな時代と思いますが、いかがでしょうか。

…《急いては事を~》で、webデザイナー迫田潮(さこだしほ)氏のブログ、販売企画事務所ブランシュ代表・則枝美香さんのブログを一部引用させていただきました。