『いずれが アヤメ か カキツバタ』 ― 梅雨の季節のお楽しみ ―
今回は綱瀬(つなせ)が社員ブログを担当させていただきます。
西日本各地が次々と梅雨入りしてきました。例年より早く五月中の梅雨入りとなっています。
ジトジトして蒸し暑く嫌な印象を持ちがちのこの時期ですが、この時期にしか味わえない素敵なことを見つけて、楽しみながら気分転換を図ってみてはいかがでしょうか。
大阪の都心部のはずれに、花菖蒲(はなしょうぶ)の名所があるのをご存知でしょうか?
大阪に限らず、東京の堀切菖蒲園など、日本全国に菖蒲の咲き乱れる名所はたくさんあるようですね。
雨の時期に咲いて雨が似合う花といえば、紫陽花(あじさい)か菖蒲(しょうぶ)ではないかと思います。
大阪市内の北部・旭区に城北公園内に城北菖蒲園(しろきたしょうぶえん)があり、毎年6月を中心に限定期間開園し、見事なしょうぶの花の大群落が公開されます。
旧淀川の河川敷の湿地帯で、現在は新淀川の堤防の外側に、回遊式の湿生植物庭園が広がり、250種1万3000株のしょうぶ、あやめ、杜若(かきつばた)などの色とりどりの群落が咲き乱れます。今年は6月1日~30日まで公開されます。
私は数年前にひょんなきっかけでここを訪れ、カメラを花に向けて以来、病み付きになってしまうほどこの時期の楽しみとなってしまいました。
・・・朝の光
あやめは乾燥地生育で、時期的にも早いためにここではほとんど見られませんが、花しょうぶを中心に色とりどりの花を咲かせています。
花しょうぶは、元々自然に湿地帯に生息していたもの(古来種、古種などと呼ぶ)を、江戸時代以降に、観賞用のために職人達が次々と品種改良して行ったとのことで、それが活発に行われてきたそれぞれの地域の名称をとって、三種類に分類されています。
・・・伊勢の舞子
〔江戸系〕 ・・・東京種あるいは江戸種ともいわれ、旗本の松平左金吾(菖翁)(1773~1856)の時代から江戸地方で収集改良されてきた品種の総称。
庭の池や流れの岸に植え、群生美を楽しむための品種。色彩、花形、草勢ともに様々で、他の品種に比べて性質も強く、一般に背が高めである。
・・・大鳥毛
〔肥後系〕 ・・・幕末の頃、松平左金吾(菖翁)の手から肥後(熊本)の藩主に渡った品種が改良されたもので、群生美よりは個々の草姿、花容が重視されるため、鉢植えで栽培され、男性的で、花が大きく、豪華な感じ。
〔伊勢系〕・・・ 江戸中期から伊勢松阪地方(三重県9で改良されてきた品種で、草丈は低く、花茎は葉とほぼ同じ高さまでしかならない。
優雅で清楚な趣があり、鉢植えや茶庭の植え込みとして栽培され、女性的で繊細な感じ。
・・・金鶏
『いずれがあやめか、かきつばた』ということわざは、
いずれも優れていて、選択に迷うことのたとえで使われます。
平安時代に源頼政が崇徳上皇から上皇のきさきの一人である菖蒲前(あやめのまえ)を譲り受けるとき、同じような美女を何人も並べた中から択ぶように命じられて、選びかねて詠んだ歌の故事からきているそうです。
・・・桜小町
鳥羽院の女房の菖蒲前は絶世の美人で、源頼政は一目ぼれをしてしまうが、頼政は菖蒲前に手紙をしばしば送っても返事はもらえなかったそうです。三年ほどが経過し、このことが鳥羽院に知られてしまい、鳥羽院は菖蒲前に事情を聞くが、顔を赤らめるだけではっきりとした返事は得られなかったので頼政を呼び、菖蒲前が大変美しいというだけで慕っているのではないか、本当に思いを寄せているのかを試すことになります。
そこで、菖蒲前と年恰好、容貌が良く似ている女二人に同じ着物を着せ、頼政に菖蒲前を見分けて二人で退出するように申し付けます。
頼政は、どうして鳥羽院の御寵愛の女房を申し出ることができようか、ちょっと顔を見ただけなのに見分ける自信がない。もし間違えれば、おかしなことになり、当座の恥どころか末代まで笑いものになってしまうと困って躊躇していると、鳥羽院から再び仰せがあったので、「五月雨に 沼の石垣水こえて 何かあやめ 引きぞ患(わずら)う」という歌を鳥羽院に贈ったそうです。
鳥羽上皇はこれに感心し、自分の女房の菖蒲前を頼政の嫁として引き渡すという凄い話が元になっていることわざです。
さて、花しょうぶのシックで高貴な色は大人の女性のイメージにマッチする色だと思うのです。こんな菖蒲(しょうぶ)カラーやアヤメカラーを、いざという時の勝負カラー(´∀`*)としてご提案してみるのはいかがでしょうか?