M-press『いずれが菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)』 ―組織集団としての創造力の養い方の考察―
タイトルのことわざは、『どちらも優れていて、選択に迷うこと』のたとえで使われます。
あやめもかきつばたも同じアヤメ科の植物で、花が似ていて区別が難しいことから、選ぶのに困ることを意味する表現として使われるようになりました。
ちなみに浅い池や湿地帯に生息し葉っぱが太めなのがかきつばたで、乾燥した土地に育ち葉っぱが細いのがあやめだそうです。
花しょうぶも似た花を付けますが、葉っぱは中くらいの太さで、乾燥した地にも湿性地にも育つアヤメ科の植物です。
しょうぶは、菖蒲と書きアヤメとまったく同じ漢字表記です。
時期的には花しょうぶが一ヶ月ほど遅く咲き、梅雨時期の代表的な花となっています。
このことわざの由来は、平安時代の故事からでているようです。
藤原道長をピークとした藤原摂政・関白政治から、白河法皇の院政を経て朝廷に権力復帰していく過程で、貴族である藤原家、法皇と上皇と天皇を加えた朝廷、そして武士の二大勢力の源氏と平氏などの親戚同士を二分した保元の乱と平治の乱という骨肉の勢力争いの戦いがありました。
平安時代末期の平治の乱後に平清盛が隆盛を極め、源氏が没落する中で、唯一清盛側についた源氏の武士が、源頼政でした。
その源頼政が鳥羽上皇から上皇の女官の一人で、上皇の子の崇徳天皇のきさきの一人である菖蒲前(あやめのまえ)を譲り受けるとき、同じような美女を何人も並べた中から択ぶように命じられて、選びかねて詠んだ歌の故事からきているそうです。
菖蒲前は絶世の美人で、源頼政は一目ぼれをし、菖蒲前に手紙をしばしば送りますが、返事はもらえなかったそうです。
三年ほどが経過し、このことが鳥羽院に知られてしまい、鳥羽院は菖蒲前に事情を聞くが、顔を赤らめるだけではっきりとした返事は得られなかったので頼政を呼び、菖蒲前が大変美しいというだけで慕っているのではないか、本当に思いを寄せているのかを試すことになります。
そこで、菖蒲前と年恰好、容貌が良く似ている女二人に同じ着物を着せ、頼政に菖蒲前を見分けるように申し付けます。
頼政は、どうしてみかどの御寵愛の女房を申し出ることができようか、ちょっと顔を見ただけなのに見分ける自信がない。もし間違えれば、おかしなことになり、当座の恥どころか末代まで笑い者になると困って躊躇していると、鳥羽院から再び仰せがあったので、「五月雨に 沼の石垣水こえて 何かあやめ 引きぞ患(わずらう」という歌を鳥羽院に贈ったそうです。
鳥羽上皇はこれに感心し、菖蒲前を頼政の嫁として引き渡したという話がことわざの起源です。
さて、考えれば考えるだけ迷ってしまうことがあるものです。
一人で考えても迷い、大勢で話し合っても結論が出ないなんてことはよくあります。
今回は、集団でいかに良いものを生み出すのか、そんな手法について考えてみたいと思います。
《胸襟(きょうきん)を開く》
胸襟とは胸とエリのことです。
エリと胸を開くので、心の中を見せることになります。
ことわざの意味は、うちとけて心の中に思っていることを隠しだてしないで、ありのまま打ち明けることを表現しています。
そういう関係がお店の中でのスタッフ間、企業の社員間にあれば、どんどんとスタッフ間で育まれた信頼関係を基にして活発な合議がなされて建設的、創造的な合意が形成され、実行に移されるといった、組織の進化につながっていきやすくなります。
東京の著名心理カウンセラーのみずがきひろみ氏は、所属するカウンセリングサービスのブログの中でこう表現しています。
創造力(クリエイティビティ)を養う目的のワークショップでは、よくこんなゲームをします。二人一組になり、白い紙が一枚渡されます。
どちらかが、最初にその白い紙を好きなようにいじるように言われます。
折っても書き物をしても破っても丸めても何をしてもOKです。
気がすむまでいじったら、もう一人の人に渡します。
その人は、これをまた気がすむまでくしゃくしゃにしたり、落書きをしたり、ビリビリに破ったりして、相手方に返します。
それを、再度、何か手を加え、さらに違うものにし、また相手に渡します。
これを何度も繰り返すことで、二人ともが思ってもみなかった作品を作上げるという演習です。
ただのゲームですが、新しいものを作り出すときの感情、葛藤や必要とされる態度がこの中にびっしりと詰まっています。
このゲームには、大事なルールが二つあります。
それは、「交替すること」、そして「相方が何をしても文句は言えない」ことです。
自分なりの想いを形にしたのに、相方が容赦なくびりびり破くと、ゲームとはいえ、カッと怒りが湧き、「せっかくやったのに」と悲しい気持ちになり、次の順番が回ってきても、「どうせまた破壊されてしまうのだから」と、無力感から「どうでもいい」みたいな投げやりな気持ちになることもあります。
想いをこめ一所懸命に作ったものであればある程、それにこだわりたい気持ちも強くなります。
ところが、その「自分の想い」から生じる「自分の計画」こそが、発想の限界だ、ということをこのゲームは教えてくれます。
渡したくない作品(=自分の想いや計画)を相手に無条件に預けなくてはならない。
そして、それをどうされても文句が言えない。
「自分の計画」を「手放す」ことを強要され、その傷つきを受け止めることを求められます。
しょせんはゲームだから、と自分をなだめながらやりすごすのですが、その意味するところは、『大』なのです。
ビジネスの世界では、自分が策定した計画、仕事にこめた想いが、他人にポイっと投げ捨てられたり無残な形に変更されたりしてしまうのは日常茶飯事です。
渡さなくてもすむなら、渡したくないし、口をはさめるものなら注文もつけたいと思うのは人情で、渡された方としては、任されたはずなのに横槍がたくさん入る、という経験をすることも多いものです。
でも、それを禁じ、「チキショ―」と心の中で叫びながらも、次に自分の番が回ってきたときに、またそこから自分にできることをやる、想いを形にすることをこのゲームは求めます。
実社会でも、自分に大役がまわって来た時、手元におかれるのは、他人がいじくり返したもので、既存の社会環境という制約の中でしか個性は発揮できない。
そこでは、気を取り直して自分なりの創意工夫を加えるか、自分の手元に来たものを放り出すか、という選択しかありません。
私たちは、いったい、どれほど多くのものごとを、数回、努力がムダになったことで、甲斐が無いと感じてうんざりしてしまい、この時点で放り出してしまっていることでしょう。
ところが、腐らずにこれを繰り返していくとある時点から、「自分の計画を全うする」事から「意外性が作り出す新しいモノ」へと関心が、自然に移行します。
そして「自分の計画」をいい意味で諦める事ができると、「自分」と「相方」の相互作用によって作り出されるもの、「自分の計画」でも「相方の計画」でもない第三の新しいものが作り出されている事に気づき出します。
自分のインスピレーションも相手のインスピレーションも、全て、新しいものを作り出すのに必要なブロックの一つに過ぎないことが見えてきます。
相手の存在も「よりいいモノを作り出すために不可欠なパートナー」になり、感謝の気持ちが湧いてきます。
ゲームの終盤には、始めの頃の緊張と白けたムードが一変し、部屋は熱気に包まれ、暑いくらいになっていきます。
「自分の計画」を超える、新しい、面白いものは、「自分の計画」の挫折の向こう側にある。
そして、「自分の計画」を挫折に追い込む相手の存在の中にこそ、よりいいモノが生まれてくるためのヒントやインスピレーションがある。
だからこそ、仲間を信頼すること、そして何よりも、新しいモノが生まれてくるプロセスを信頼する「態度」が大切なのだ、ということがゲームを通じてわかってきます。
とはいえ、実際のビジネスの現場で、「自分の計画」を手放すのは、大きな痛みを伴うので、当然、抵抗があります。
そんな時、その辛さの先にもっといいモノが待っていると信頼できると、少しは軽やかに超えられそうですが、そう気持ちを切り替えるには、個人のそれまでの体験などの経験値がモノを言います。
短時間で、仲間を信頼すること、プロセスを信頼することの大切さを体験できるようなゲームを、チームビルディングの一環に組み入れてみるのも組織の力を引き出すのに役立ちそうです。
以上が、みずがき氏のアドバイスなのですが、自分の思い込みを消して、思い通りにならないというお互いの葛藤を乗り越えた先に、本当にチームとして能力を最大限発揮できる創造的進化があるということなのです。
そこまでの合意形成と覚悟をする会議を、皆様はできていますでしょうか。
《小田原評定(ひょうじょう)》
天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の軍勢に攻められ包囲された相模の国・小田原城で、北条氏家臣団は城中で戦を続けるべきか、それとも降伏するかの評議がなかなかまとまらなかったうちに攻め落とされてしまったことからできたことわざです。
長引いてらちが明かず。なかなかまとまらない相談事や会議のことを意味します。
前述のみずがき氏の助言の通り、腹を割って本心を打ち明け、葛藤を乗り越えていかないと、時間をふんだんにかけても、建設的会議にはならないのです。
これからの時代の会議に重要なのは、『テーマを柔軟に考え、今までになかったアイデアを生み出す発想力』だと考えています。
発想力は個人が持つ独創力による部分が大きいと一般的には思われており、「優れた発想力は特別な能力で、努力で伸ばすことは無理」と捉えられがちです。
しかし、優れた発想力は、決して一部の限られた人だけのものではなく、さまざまな発想法を自分自身で試して発想する経験を積み、その思考パターンを身に付けることによって、誰でも発想力を磨き、大きく伸ばすことが可能といわれています。
アイデアを出すための発想法には、多くの種類がありますので、発想経験を積むために活用できそうな発想法とその進め方を列記してみます。
①要因について分析する目的…
【欠点列挙法】…テーマについての欠点を取り上げて分析し、それを解決するアイデアを引き出していく方法です。
参加者はテーマに関する欠点を思いつくままに発言し、それに基づき欠点リストを作成します。
次に、それらの中でも重要度が高いと思われるものをさらに選び、チェック欄に○印を記入し、その○印を記入した欠点の一つずつについて、それを解決するアイデアを検討していきます。
欠点という明確な要因を取り上げて分析することにより、それを解決するための具体的なアイデアの発想がしやすくなります。
現実に即したアイデアを出す事に適した特徴を持つ方法です。
②アイデアを書き出し深める…
【マンダラート法】…工業デザイナーの今泉浩晃氏が考案した発想法で、テーマから連想される言葉や考えをマス目に書き出し、アイデアを深く掘り下げ、大きく広げていく方法です。
参加者は、9つのマス目(縦3つ×横3つ)の中心のマス目に発想したいテーマを書き、その周囲の8つのマス目に『テーマから連想される言葉や考え』を書き出します。
この際に、8つの言葉や考えがなかなか思いつかない場合であっても必ず何らかの言葉や考えを書き出しマス目に埋めなくてはなりません。
8つ以上思い付いた場合は、逆にそれらを8つに絞り込みます。
次に、これら8つから『ポイントと思われるもの』を一つ選び、それを未記入の次の同じ9つのマス目シートの中心に書き、再度その周囲8つのマス目に『テーマから連想される言葉や考え』を書き出していきます。
この後、再び『ポイントと思われるもの』を一つ選び、それをテーマとしてさらにマンダラートシートの作成を繰り返します。
これでアイデアを深く掘り下げ、大きく広げることができます。
この方法は、無限に続けていくことが可能なため、アイデアをまとめるまで自由に発想を展開できるのが特徴です。
③発想を逆転して生み出す法…
【逆設定法】…常識を逆転させることで、従来常識にとらわれない新しいアイデアを生み出す。
参加者が、テーマに関する常識を挙げていきます。
当然とされ否定しようが無いと思われる常識まで漏れなく挙げ、それらの常識を全て逆転させて逆説を設定します。
『~である』は『~でない』、『~がある』は『~がない』というように設定しますが、考えうる逆説は全部挙げて大胆な逆転発想を狙い、その一つひとつの逆説に対応するアイデアを列挙しますが、アイデアも多数です。
逆転させる対象を明確にし、発想の逆転を簡単にする方法です。
④自由な発想で大量のアイデア
【ブレーンストーミング】・・・
思いつくままアイデアを出し合う、質より量&便乗歓迎&批判禁止で発想除外を作らない方法。
⑤その他…【擬物化法】、【カタログ法】、【タウンウォッチング】等、多数の発想法があります。
スタッフの相互理解を深め、創造性あるアイデアを出すために、お試しされてはいかがですか。
・・・心理カウンセラー・みずがきひろみ氏のブログ『組織の創造力は「自分の計画」を手放した先にある』、SIP㈱の冊子『すぐに実践できる発想法…』を転用しました。
ビューティ-クリエータ-のための情報誌 No.197 株式会社マックス企画室