M-press『生き馬の目を抜く』 ― 新年に思うこと ―
気持ち新たな新年を迎えました。
旧年中は当コラムをご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。
本年が皆様にとって輝ける一年となりますように、当コラムもそのためのヒントや一助となれれば幸いと存じ、できる限りの新しい情報をお伝えしてまいりたいと考えております。
例年の如く干支にちなんだ諺から新年号をスタートします。
馬は人間の欠かせぬパートナーとして、蒸気機関などの原動力が登場するまでは、輸送手段や農耕手段、武器や最上級の贈り物として、人間社会を支えてきました。
良馬をたくさん保有すると、政治、経済、軍事など、たくさんの領域で支配階層になれるという時代が長く続いてきました。
ですから、馬にかかわることわざや慣用句や教訓などが大変多くなっています。
タイトルのことわざは、『生き馬の目を抜き取るほど、すばやくものごとをする、油断のならないさま』のたとえで使われます。
英語では、『Water sleeps,the enemy wakes.』(水は眠っても敵は眠らず)、つまり、油断も隙もないという意味で表現されています。
安倍首相が主張する『アベノミクス』の効果が、特定地域や特定輸出関連企業や大企業、不動産や動産などの資産を持つ人々など、特定の人の領域に限られた恩恵レベルしか現状出ていないとしたならば、これから迎えてくる消費税料率アップなどで起こってくる混乱に注視して、柔軟に対応していく必要があると思います。
新年最初の当コラムのタイトルのことわざが物騒なものでスタートしたのは、そんな理由からです。
生き馬の目を抜くほどの素早い対処が必要になることは間違いない年になると思っています。
《たづなさばき》
手綱と書いて『たづな』と読みます。
晴れたと思っても長続きせず、いきなり雨が降り出してきたり、いつ降ってもおかしくなかったりする状態にあるのが、現在の経済環境のように思えます。
そんな天候によって、どろどろの『不良馬場』になっているのであれば把握しやすいのですが、柔らかくて滑る『重馬場』なのか、それとも『良馬場』に一見見えるが実は下のほうが緩くなっている『やや重馬場』なのかがよく分からない社会状況のようにも見えます。
そんな情勢だとするならば、ジョッキーの天候や馬場コンディションの見極めが極めて重要で、見極めた上での手綱さばきが重要だと思います。
ジョッキー=経営者ですね。
あるいは、経営者が馬主や調教師で、上級管理職や店長が騎手として手綱を握る場合も多いのではないかと思います。
手綱さばきとは、『手綱を握る』=人を動かし、また物事を処理する手加減の重要な部分を握ること、『手綱を締める』=馬が勝手に走って疲れ果てることのないように手綱を引き絞って持って馬を自重させると同様に、勝手な言動をしたり気を緩めたりしないように他人を抑制する、『手綱を緩める』=さあ伸び伸び走れと解き放つように一気に制約を外す、『ムチを入れる』=馬に発破をかけて走らせるように、人に刺激を加える…こういったことをバランスよくするのが、手綱さばきの真髄なのだと思います。
あまり好きな言葉ではありませんが、『飴とムチ』とか『にんじんをぶら下げる』というのも、馬に関係した表現のようです。
いずれにしても、手綱さばきが重要な一年になるのは間違いないのかと思います。
《馬脚(ばきゃく)を露(あら)わす》
お芝居で登場する馬は、ほとんどの場合張りぼての中に人間が入って、人間の足が馬の脚になっています。
馬の脚を演じていた役者がうっかり自分の足を見せてしまうことから、隠していた本来の姿が表に出てしまうことや、化けの皮がはがれてしまうことを言ったことわざです。
『尻尾を出す』『尻が割れる』『化けの皮が剥がれる』ということわざも同じ意味で使われます。
英語では、『To show the cloven hoof.』(割れたひづめが現れる=本性を現す)と表現されるようです。
割れたひづめを持つヤギが、中世ヨーロッパでは悪魔の象徴とされていたことから、こういった表現が使われるようになったとのことです。
『尻馬に乗る』ということわざもあります。
他の人の乗っている馬の後ろのことや、前を行く馬の後ろのことを尻馬といいます。
尻馬に乗るとは、分別もなく他人の言動に同調して、軽はずみなことをすることや、人の言動に便乗してことを行うことをいいます。
また、人のあとについて、調子に乗ってそのまねをすることもいいます。
消費税料率のアップやもろもろの社会環境の激変に対応するためには、模様眺めや他者追従の姿勢では乗り切れないだろうと思っています。
日本では、戦後の長きに渡っての教育が、横並び主義や、皆と同じことをしてはみ出さないことで、和を重んじることに重点が置かれてきた様な気がします。
個性を伸ばすというよりも、人と同じことをして集団が一枚岩になることを優先して、没個性的な平均化がされてしまったようにも思えます。
多数決の意思決定手段によって、皆と同じならば安心し、多数意見が正しいと思ってしまいがちな思考に陥ってしまいます。
横並び思考が出て、周りと比較しながら同じことをしていくと、個性とか強みとかいった特徴や独自性を殺してしまうような、没個性化や平準化といった結果になりかねません。
そもそも、お客様が自店を選択し続けるのは、他店にない特別な何かに対し価値を見出し、利用し続けてくれていると思うのです。
特に理美容室のようなサービス業や、私達のように他社と同じ商品の販売を受け持つ商社などは、特にそういう独自性が極めて重要だという認識を持つ必要があると思うのです。
少し前までは、TTP(徹底的にパクル)といった、良いものは他者に追従して真似ていくということが叫ばれていましたが、それは自社の良いところの個性を消してしまい、武器を手放すことになってしまう可能性すらもあります。
難しい情勢になればなるほど、尻馬に乗るのではなく、良い意味での馬脚を露わす、つまり自分の持ち味をさらけ出す必要があると思うのです。
《死馬の骨を買う》
中国の古典・戦国策に載っている故事に基づいてできたことわざだそうです。
一日に千里を走る名馬を買うために、使者が千金を持って王の指示により出かけました。
しかし、使者は既に死んでしまっていたその目的だった名馬の骨を五百金で買って帰ってきた。
王が怒ると、使者は「死んだ馬の骨にさえ五百金も払うという噂が広まれば、王は馬の値打ちがわかるという評判が広がり、必ず生きた名馬を売り込みにくる人が現れるでしょう」といったそうです。
その後、一年も経たないうちに千里を走る名馬を、王は三頭も手に入れることができたというのがその故事です。
死馬の骨を買うということわざの意味は、『優秀な人材を集めるために、熱心に人材を集めるのと』、また、そのために『優秀な人材でない人でも優遇するたとえ』で使われます。
理美容ともに免許が必要な職業です。
そしてお客様と長時間に渡って対峙する接客サービス業でもあります。
つまりは、人によって業績が左右される人材が大きなウェイトを占めるビジネスともいえます。
美容師、理容師ともにここ数年の新規免許取得者は減少傾向にあります。
一方で、免許取得者でありながら、美容室や理容室で働かずに異業種に従事する人たちの割合も毎年増加しているようです。
今年はさらにこのような傾向は強くなってくることは確実で、ますます人材確保に苦労する一年になりそうです。
人がいないと成り立たないビジネスで、かつ人の資質が業績に重大な影響を及ぼすとしたならば、熱心に人材を集める努力をしなければなりません。
お客様がその店舗に特別な価値を見出し選択していただくのと同様に、求人採用の分野でも、このお店で働きたいと人材に特別な価値を見出してもらえる独自性が必要なのだと思います。
特別な何かがなければ、魅力ある人材は手に入らないと思うのです。
死んだ馬に大金を払うがごとくの覚悟をして労働条件、雇用条件などの整備をして、覚悟を持って育て上げるといったものがないと人材確保すら難しい時代だと思うのです。
『鞍替えする』という表現があります。
これも馬から出た慣用句です。
馬を乗り換える時には、自分の鞍を乗り換える馬に付け替えていきます。
それが変化して、仕事や商売、所属などを、それまでのものから別のものに替えることを言ったものです。
他店へのスタッフの鞍替えばかりではなくって、異業種への流出鞍替えもあることを意識しなければなりません。
業界の中の常識とされることだけを見てしまい、それが当たり前だと思い込むと、思わぬしっぺ返しをくらいます。
社会保険の問題なども整備がまだのところは準備しておく必要があると思います。
いずれにせよ、人材は育み輝きを見出し磨き上げるもので、縁あって採用した人の潜在資質を伸ばしていくものであると再認識して、それを率直に熱意を込めて表現していくことが必要で、そういった強い意欲を経営者が持つことなしに人は集まらない時代に入っていると自覚したいところです。
《癖ある馬に乗りあり》
一癖ある者でも、扱い方次第では個性を活かして使うことができるというたとえで使われることわざです。
近い意味のことわざとしては、『蹴る馬も乗り手次第』『人食い馬にも合い口』『かぶり馬にも合い口』があります。
また、『癖ある馬に能あり』ということわざもあり、癖のある人ほど、凡人とは違う能力を持っているものだというたとえで使われます。
癖のある馬のほうが、他の馬とは違う特別な才能を持っていることから派生したものです。
近い意味のことわざでは、『名馬に癖あり』『癖なき馬は行かず』などがあります。
現在は女性を対象に使われることの多い『じゃじゃ馬』ということばがありますが、そもそもは人になかなか慣れない暴れ馬のことを『邪々馬』と呼んだそうです。
性質が激しく、わがままで好き勝手に振舞うことから、そういった馬に近い女性を称して『じゃじゃ馬娘』と呼ぶようになったそうです。
また、『野次(やじ)馬』の語源も気性の激しい馬だそうです。
こちらは、特にオスの老馬をさすようで、『親父馬』がなまったという説と、『やんちゃ馬』がなまったという説があるようです。
そんな暴れ馬であったとしても、馬と乗り手の性格や気持ちがぴったり合うと『馬が合う』状態となります。
馬が合うとは、気がよく合う、意気投合することのたとえとして使われます。
接客サービス業の極意は、この馬の合う関係をサービス提供者側がいかにつくれるのではないかと思います。
戦後から高度成長期のもののない時代では、モノを手に入れることが価値であり、他の人の皆が持っているモノを手に入れることが喜びでした。
マーケティング的表現を使えば、『十人一色』の時代だったといわれます。
日本が豊かになり、皆と同じモノを持つこと自体に魅力を持たなくなってきた時代になると、人それぞれに自分の個性や馬が合うモノを求めていきました。
『十人十色』の時代です。
さらに、現在は私だけの特別なモノを特別なその時にこだわる『一人十色』の時代とも言われます。
特に、接客サービス業に置き換えると、一人のお客様が来店される度にいつも同じ精神状態ではないと認識しておく必要があるということです。
あのお客様はこういうお客様だから、こんなサービスとこんな会話と、こんな技術とこんなスタイルで…と毎回決め付けてはいけないということです。
お客様が、元気が無いときある時、喧嘩をした後、何か行事ごとを控えているなど、その時々のお客様の状況を把握して、サービス内容やスタイル、会話などを柔軟に変えていくこと、これが『一人十色』のお客様との向き合い方ではないかと思うのです。
今年も、予想もできない動きがたくさん出る年になりそうですが、張り切ってまいりましょう。
ビューティ-クリエータ-のための情報誌 No.204 マックス企画室