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『ころがる石には苔(こけ)が生えぬ』 ― こんな時代なればこそ我慢するのか、動くのか ―

2009年09月20日

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「転石苔を生せず」、「転石苔むさず」とも使われます。
この諺は元々はイギリスの「A rolling stone gathers no moss.」(転がる石は苔をつけない)を和訳したものだそうです。
①「職業を転々とするのは良くないことで、地位も得られず、お金も身につかない」というのが当初の意味だった英語の諺です。
現在では、他の意味で使われることが多くなりました。
②「こまめに体を動かして良く働く人が、いつも健康で生き生きして病気にならない」という例えでも使われるようになりました。
さらに、新しい意味が増え、
③「活発に活動を続けていれば、時代に取り残されることはない」というもうひとつの意味でも使われます。
③の意味の諺としては、「使っている鍬(くわ)は光る」というものもあります。
毎日使っている鍬が錆びることなく光っている様に、たゆまず努力している人は生き生きとして見える例えで使われます。
英語では「Iron with use grows bright.」(鉄は使うと光る)、「The used key is always bright.」(使っている鍵はいつも光っている)などと表現されるようです。
中国起源の諺では「流れる水は腐らず」というものもあります。
常に生き生きと動いているものには弊害が生じる事がないという意味の表現です。
例えば人間なら健康が約束されるし、組織などなら弊害を生むことは無いという例えで使われます。
川の流れが停滞することを澱(よど)むといいます。
澱んでしまうと悪い汚れが溜まりやすくなるようです。
因みに、京都から大阪へ流れる淀川は「よどんだ」川が語源とのことです。
ソウルミュージックのニューウェーブとして、60年代~70年代をリードしたレコード会社がモータウンレーベルです。
拠点のミシガン州デトロイトが自動車工業中心だった為、モータータウンを略してモータウンとなりました。
そのモータウンレーベルの代表格がテンプテーションズで、彼らが1972年に大ヒットさせた曲が「Papa Was A Rollin’stone」です。
歌詞を見ると「父親は定職に着かないなまけ者で、家には金が残らず・・・」と、英国からの諺の正に①の意味で使われているようです。
英国のメジャーバンドのローリング・ストーンズは、発足時に黒人音楽に心酔しており、偉大な黒人ブルーズ・シンガーのマディー・ウォーターズの代表曲である「ローリング・ストーン」のタイトルをバンド名にしたと言われています。
彼らは、「転がる石」にならぬ様、音楽一筋に生きていくという決意を込めたのか、或いは一箇所に安住することなく転げ落ちてやるという反骨精神をバンド名に込めたのかは不明です。
65歳を過ぎた現在もミック・ジャガー始めメンバーが現役バンドを貫いているのは、「転がりすぎない石となり苔がしっかり着いた」ということなのでしょうか。
今回は、景気低迷していると言われる状況下で、どっしり構えて動かぬ石になるのか、逆に自ら転がる石になって動くべきなのかを考えてみたいと思います。

《苔の厚み》

今回のタイトルの諺の元々の意味①を考えると、あちこちに転々とするより、一箇所に落ち着いていた方がお金が残る(身につく)ということをいっています。
つまり、苔の部分が報酬(資産)となり、同じ領域に根を張り頑張ったことにより苔が表面を覆いつくした上に厚みも増した状態です。
離れて見ると、苔で石だと思えない程になり、まるで苔が邪魔をして更に転がることを妨げている様です。
資産である苔をお客様に置き換えると、それだけ固定客が沢山ある企業ということにもなります。
そこまで沢山の安定客や資産を持つ企業ならば、不況期には動かずじっと我慢する選択肢もあると思います。
資産が沢山あるのですから、余計なことをせずに、その資産を少々減らしながらも辛抱して、積極政策が打てる時期になったら思い切って投資することが可能です。
しかし、これは強者の論理で、横綱・双葉山の全盛期に「受けてたつ双葉山」と呼ばれた様な他を寄せ付けない圧倒的強さを持った場合のみであり、その様な立場の企業や店舗は少ないのではないでしょうか。
また、苔が沢山生えた石といっても、全面にびっしり生えているものは少なく、アンバランスに一面に偏って生えていたり、長い間伸び放題にしていたので、悪い虫があちこちを食い荒らしているかも知れません。
民主党に政権交代させた国民の判断は、長い間同じ政権与党に任せ過ぎた為に官僚の言いなりになり、アンバランスになり過ぎた苔や、そこにはびこる害虫や病気をなんとかしたいという思いなのかも知れません。
いずれにしても、大きな貯えを持った者は、「金持ちケンカせず」と割り切って動かないこともできますが、それ以外のものはアクションを起こさなければ、「使わない鍬は錆びる」となってしまう時代のように小生には見えます。

《老舗と革新》

老舗(しにせ)と呼ばれ、歴史と伝統を持って現在まで生き残る店があります。
しかし、本当に伝統を守っているだけで、今まで勝ち残ってきたのでしょうか。
その答えは否だと思います。
まず初めに評判になった際には、他に類を見ない様な斬新な物、画期的な物をつくり、人気を集めて口コミで評判になり、その後に安心感や信頼感を得てきたのではないかと推測します。
長い歴史の中で、飢饉や大噴火、地震、洪水等の天災の他、顧客の嗜好の変化や、不景気、戦災等社会の激変にも遭遇したと思います。
その度に今のままでは成り立たなくなる、手を打たなければと、新たな試みを繰り返し対応したからこそ生き残れたに違いありません。
「種は強いものが生き残るのではなく、変化に順応できるものが生き残る」というダーウィンの進化論の原則通り、進化と変化を繰り返しながら老舗は生き残ってきたと思います。
伝統とは統(トウ=スジ=流れ)を伝えるという意味だそうで、固定化されたものを頑固に変えずに守っていくのではなく、時代に合わせて変化させながらも永続的に伝承していくものなのだそうです。
220年前の1790年(寛政二年)、京都の福井伊右衛門が福寿園という茶舗を起こしました。
その70年後(150年前)の1860年(萬延元年)、宇治の辻利右衛門が茶問屋・辻利本店を開きました。
桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された年の事です。
両者とも今もお茶の老舗ブランドとして残り、前者はサントリーと、後者はJT(ジャパンビバレッジ)とタイアップし、ペットボトル茶を大ヒットさせました。
ほんの十数年前までは、お茶を沸かし、急須で入れなければ飲めないものでした。
しかし、ペットボトル入りのお茶が発売され、それが老舗茶房の高級茶葉を使用して美味しくなっていき、愛飲者も増加し、手軽な飲み物になりました。
今は前述の2社だけでなく、各主要飲料メーカーのほとんどが歴史ある老舗茶房と手を組み発売されています。
考えてみると、ペットボトル入りのお茶の開発は、飲料メーカーにとっては単なる商品ラインアップの追加ですが、茶葉を提供する老舗茶房にとっては、ビジネスモデルを変革するような看板とのれんを賭けた大きな決断であった筈です。
茶葉という従来の伝統的商品だけでは、ライフスタイルが変化した現在、茶舗の売上げを維持し続けることは難しくなります。
簡単さや手軽さが重視される世の中で、今後消費者がますます楽を求めてくれば、いつかお茶の伝統が途絶える可能性も無い訳ではない。
老舗のブランド茶葉を使ったペットボトル茶は、そのお茶の伝統文化を次世代へと継承するため、そして老舗茶房が企業として存続するための、苦渋の決断の末に生まれた新たな事業戦略だったに違いないはずです。

《転ばぬ先の杖》

老舗茶房と提携した側の大手飲料メーカーについても少し触れます。
サントリーは日本を代表するウィスキーメーカーです。
しかし、ビールについてはキリン、アサヒ、サッポロの3社で寡占状態の日本市場では、万年四番手メーカーとして、ここ数十年に渡って甘んじ続けてきました。
ところが、サントリーが発売した「ザ・プレミアム・モルツ」が歴史的大ヒットとなり、「金麦」・「ジョッキ生」も続き三強の一角サッポロを抜き、ビールシェア第三位に浮上してきました。
ワインを製造販売するために㈱寿屋を起こした鳥井信治郎氏が、自社の主力商品「赤玉ポートワイン」の赤玉マークが太陽のイメージだったので「SUN」、鳥井を英語風にして、「TORY」にしてサントリーと改名、ウィスキーでトップシェアになり、ビール、ソフト飲料も加えて総合飲料メーカーとなりました。
清涼飲料水分野では、福寿園との提携の他にも、近年ペプシコーラの日本販売権を買収取得したり、今年夏にはキリングループとサントリーグループの経営統合の話まで進めています。
対抗するアサヒも、バヤリースの専売権取得に続き、カゴメと提携というビックニュースが流れています。
サッポロもポッカコーポレーションと提携をするなど、自社自販機にビールの他に魅力ある提携商品を揃えて主導権を握りたいと考えているようです。
また、コンビニや量販などのルートでも、酒類だけでない多種の売れ筋ドリンクを沢山持つことで、流通の優位性を高めたい考えです。
辻利と組んだJTは、三公社のひとつである日本専売公社の名前で、国策企業としてスタートしました。
他の公社である国鉄(現JR)より先に、第一段として1985年4月に電電公社(現NTT)と同時に民営化されました。
既にたばこは健康を害するもので、社会悪になりかねないとの意識があったため、将来的喫煙人口が減るのは決定的な情勢だった上、政府による価格統制があり値上げもできず、税金も高いなど将来的に先細りの企業との見方が支配的でした。
また、民営化時点で主軸のたばこも塩も専売権が剥奪され、自由化されることが決まっていました。
「ラーク」「フィリップモリス」「キャメル」など制限されていた輸入たばこが大量に入ってきてシェアを奪われたり、塩も国内生産、輸入とも自由化されるので売上げダウンとなるのは決定的だったのです。
そこでJTは多角化を始め、ソフトドリンク市場のジャパンビバレッジをつくり、パンの店サンジェルマンや、香川の加ト吉水産を買収して食品事業を強化したり、製薬会社も買収して医療品部門にも参入しています。
また、小売大手では、ローソンとマツモトキヨシも提携を先頃発表し、今後の動きが注目されています。

《小石なら転がろう》

ここまで述べてきた通り、看板もある老舗企業や大企業でさえも事業の変革を決断している中、我々のような中小零細と呼ばれる規模の企業がそのビジネスモデルを変化させなければ生き残れないと思います。
この数年、経営状況が厳しくなった企業は、必要な変化を先延ばしにしてきた企業が多いように見えます。
商品や販売方法、顧客などを変えなくても、前年比数%程度で売上げ減少が滞まり、利益も確保できる場合、経営者はその収益を失う不安感から、新たな挑戦や既存事業の変革を見送りがちになる傾向があります。
そうなると、顧客や市場の動きを凝視して積極的に変革していくという外向き姿勢が無くなり、自己利益確保のための組織内のリストラや過度の節約等、内向き消極的な改善にのみ終始してしまう可能性があります。
確かに変化にはリスクがあり、その方向を経営者が見誤れば、最悪の事態も招きかねません。
だからといって、変化を避け続ければ、変化しない事が日常化し、いつのまにか変化できない組織体質ができあがってしまうものです。
変化せずに我慢することが、短期的には危険性回避と感じても、長期的に考えると変化を拒むことが結果的に最大の危機につながります。
瞬間的に大きく転換するのではなく、短期的にはそれほど変わっていない様に見える程度の変化を続けることで、長期的に見ると右にあったものが左へ大きく移動しているかの様に変化させるのが理想といわれます。
お客様が心の豊かさも求めて来店されるのがサービス業であるサロンの立場です。
以前はマニュアル教育により、「金太郎あめ」がどこで切っても同じ顔がでるのと同様、画一化、均一化されたサービスができるような接客訓練をされていました。
現在は、プレミアム・モルツやプレミアムコーヒーのように「プレミアム」がキーワードといわれます。
お客様の私だけの喜び、特別感、上質感を導き出せなければ、次回のご来店が難しくなってきます。
「金太郎あめ」の様な、当たり前の固定化されたサービスは、没個性的で面白くない、退屈な対応で接遇不足とされる時代なのです。
既に、完璧主義で業績が上がる時代は終わったのです。
技術と接遇工程を省いたり、材料を節約し過ぎたり、お客様と直接かかわる部分の切捨てや削減等、内向きコストダウンを図ろうと過ぎると、サービス業として重要なプレミアム感を放棄したことになり、経営問題に発展する恐れもあります。
大切なことは、お客様に喜んでいただけるための積極的な改善を進めなければ、生存すら危うい時代であると認識することです。
そして、沢山の過去の貯えという苔を生やしている石のみが、動かずにじっと我慢できるという事実です。
資産、資金余力が十分でない企業(石)は自ら積極的に転がって、苔が生えなくても、ピカピカに光って見える魅力的な石を目指す必要があると思いますが、いかがでしょうか。
今回は㈱ワイキューブのメールマガジン「Y―LETTER」より、同社代表取締役・安田佳生氏のコメントを参考にしました。