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『色即是空、空即是色』 ― 変化するということ ―

2012年09月20日

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仏教の経典・般若心経(はんにゃしんぎょう)から出たお経が諺として認知されたものです。
『しきそくぜくう、くうそくぜしき』と読みます。
漢文形式で日本語として読むと、『色(しき)は即(すなわ)ち是(こ)れ空(くう)なり、空(くう)は即ち是れ色(しき)なり』となります。
『色(しき)』とは、形のあるもの、つまり物質的な存在のことだそうです。
仏教の世界では、感覚的に捉えられる、形ある一切のものをいうそうです。
『空(くう)』とは、実体性がないもの=それ自身で存在することがなかったり、また永久に変わらない確かなものだという性質がなかったりするもの=を指す言葉だそうです。
仏教の世界では、因縁の作り出す仮のもの、むなしいものを表すそうです。
読み下すと、『色はそのまま空であり、空はそのまま色である』となります。
ですから、この諺の意味としては、『世の中の物事は、すべてがその時にそうなっているだけのもので、永久に変わらない確かなものなどではない』ということです。
この世に存在する形あるものは、永遠に存在することのできないもので空虚な仮の存在であり、同時にすべてのものの本質は空虚ではあるが、それがそのままこの世のいっさい全てであるということです。
人が悩むのは、物事を固定的に考えるからで、色即是空…の意味で考えると、全てが仮の姿だから、あれこれと悩むのが無駄なことだと思えてくるのです。
とはいえ、人間は今手にしたものが永遠に続くと信じたいものですし、無意識の内に自然にそれが続いていくものだと思ってしまうものだと思います。
そして、続けるためには変化し続けて行かなければならないということを見失いがちになって、現状維持に走ってしまう悲しい性質を持っているようです。
今回は、変化することの大切さを考えていきたいと思います。

《シャープペンシル》

日本の発明王と呼ばれる人のひとりに1980年に亡くなられた早川徳次氏がいます。
早川氏は中国で清朝が倒れ、日本では明治天皇が崩御された大正元年(1912年)に東京で金属加工業を三名で起業します。
その年に、ベルトのワンタッチのバックルを考案しヒットさせた後、三年後の1915年に早川式繰出鉛筆(シャープペンシル)を発明します。
その年に、早川兄弟商会金属文具製作所を設立、欧米にシャープペンシルの輸出を開始します。
ところが、事業が軌道に乗った1923年に関東大震災の被害にあって工場などの拠点のほとんどを失い、東京から大阪に本社を移して再起を図ります。
大阪に移って二年目の1925年に国産第一号となる鉱石ラジオの組み立てに成功して量産を開始し、シャープラジオと命名。
戦時中の1942年に早川金属工業から、早川電機工業株式会社に社名変更し、電化製品中心の会社にスイッチしていきます。
戦後の1952年(昭和二七年)には国産第一号となるテレビ受像機を発売、翌年量産化。
さらに、1959年(昭和三四年)には、世界初の魚焼き器キッチンロースターを発売します。
三年後の1962年には、国内初の電子レンジを量産発売。
翌年には、日本初の太陽電池量産にも成功します。
さらに翌年には、世界初のオールトランジスタダイオードの電子式卓上計算機を開発、発売。
1966年には、国産初の電子レンジのターンテーブル導入。
翌昭和四二年には、世界初となるIC電卓を発売します。
大阪万博の年1970年(昭和四五年)にブランド名のシャープを社名にします。
翌年には、ESLI(多相大規模集積回路)がアポロの打ち上げに貢献したことで、NASA(米国航空宇宙局)からアポロ功労賞が送られます。
1973年には、世界で初めての液晶表示ポケット電卓を発売。
1976年には、初めての太陽電池電卓、独自の一発選曲方式のラジカセ、翌年にはボタンの無い画面タッチ式カード電卓を世界で初めて発売しました。
その後も、国内初のワープロ、国内初のポケット電訳機、世界一薄いカード電卓の発売と、早川徳次氏が死去する1980年までに、先駆け発売の精神による発明が続きます。
その後も、世界初のパソコンテレビ、世界初の電子レンジ累計生産1000万台突破、世界初のTFT液晶カラーディスプレイ開発、初めての左右両開き冷蔵庫やコードレス留守番電話器、カラー液晶モニタービデオカメラの発売と続きます。
1990年代に入ると世界初の液晶ハイビジョンテレビ、世界初の壁掛け液晶テレビ、世界初の気泡で洗う洗濯機、携帯情報ツール・ザウルスなど先駆者魂溢れる製品を開発し続けます。
2000年代に入ると、世界で初のプラズマクラスターイオン空気清浄機を発売、さらに洗濯機にもこの技術を応用して、水を使わないで洗浄できる洗濯機まで発売します。
創業者の先取り精神を受け継ぎ、世界初、日本初の製品を次々と生み出しながら、今年創業百周年を迎えようとしていたのです。

《目の付けどころが、シャープでしょ》

日本を代表するコピーライターのひとり、仲畑貴志氏の企業イメージ戦略のコピーです。
1990年から2009年までの間、途中二回ほど別コピーでの小休止期間はあったものの、この種のコピーとしては、およそ20年という異例の長期間使われた大ヒットコピーです。
仲畑氏は、設計事務所や広告代理店など様々な仕事を経験した後、サントリーが設立した広告制作プロダクションのサン・アドでコピーライターとして成功の礎を築いたと聞きます。
桃井かおり出演のマイルドウォッカ・樹氷のCMで『タコがいうのよね…』、野坂昭如のウィスキーCM『みんな悩んで大きくなった』等をヒットさせました。
フリーになってからは、時代を動かしたキャッチコピーともいわれる、TOTOウォシュレット発売時のCMコピー、『お尻だって洗って欲しい』で一躍脚光を浴びた他、大鵬薬品のチオビタドリンクのCMコピー、『反省だけなら猿でもできる』も流行語となりました。
企業PRコピーでは、最近まで好感度№1コピーだった、『ココロも満タンに、コスモ石油』も彼の作品です。
彼の作品ではありませんが、昔に遡れば『お口の恋人、ロッテ』や『初恋の味、カルピス』、『明るいナショナル』『みんなみんな東芝』など長寿作品はあったでしょうが、近年二十年もの間使われた企業PRコピーは他に例が無いのではないかと思います。
そして、このコーポレイトコピーに乗って、大和なでしこの代表格女優・吉永小百合が2000年に液晶テレビ・アクオスのCMに登場してきます。
1990年代後半から、吉永さんはシャープのビデオカメラのCMに既に登場していましたが、2000年からのアクオスのCMでは、社運をかけた大きな使命をになって抜擢されたのです。
当時のテレビはブラウン管のテレビが主流で、液晶は非常に少数派でした。
液晶テレビは液晶の耐久度にも問題があるとされ、切れたところが黒点になって映らなくなったり、色むらが出たりする等の問題点も指摘されていました。
また、ブラウン管に比べ反応時間が遅く、スピード感溢れる画像に対しての動きが一瞬遅れるとか、鮮明度に欠けること、明るい室内でコントラストが出ない、横の角度から見えなくなるなどの、機能不足も液晶画面にはあると指摘もされていました。
当時のパソコンのディスプレイもブラウン管で、PCの液晶ディスプレイもほとんど存在しないという、そんな時代でした。
出始めていた液晶テレビも、ブラウン管型に比べ極めて高価で、性能や耐久度にしては割が合わないという評価が一般的でした。
そんな時代に、シャープはブラウン管テレビの製造は止めて、自社はすべての生産を液晶に切り替えると宣言し、十年後には液晶テレビの時代にしてみせると、吉永小百合を使って堂々と大衆に宣言して見せたのです。
小生も、本気なのか正気なのかと疑ってかかるほど、当時の現状を見ると信じられない提言をテレビで訴えかけたのです。
この吉永小百合をイメージキャラクターとして、アクオスのブランディングに使ったプロモーションも十年以上と異例の長さでしたが、世界のナンバーワン液晶家電メーカーとしてのシャープの地位を確立しました。
この間に三重県亀山に亀山第二工場を新設し、そこで製造のアクオス亀山モデルは液晶テレビの世界一のブランドとも称され、続いて大阪府堺市に大規模な新工場の投資が行われてきました。
創業100周年を迎えた今年、今まで新しいものを次々と生み出して、需要を創造し続けてきた優良企業であるシャープが今、深刻な経営危機に陥ってしまっているのです。

《諸行無常》

色即是空に似た諺で、やはりお経から出たものに諸行無常があります。
『この世の一切の物事は、変転極まりなく、不変のもの、常なるものなど、この世には存在しない』という意味で使われます。
涅槃経(ねはんぎょう)という古い経典に書かれていたとされ、仏教の根本的理念を表すことばとして知られています。
琵琶法師が弾き語っていたという平家物語の中でも、『祇園精舎の鐘の声…諸行無常の響きあり…』と詠われました。
英語では、『Paul,s will not allways stand.』(セントポール寺院もいずれは倒れる)や、『All is vanity』(すべては空虚なものである)と表現されるようです。
シャープの場合には、たくさんの優位性を持つ新開発製品を持ちながら、ブランド戦略に成功したアクオス増産に投資を集中させすぎて、既に過当競争で価格勝負となり海外に生産拠点を移していかないと生き残れない時代背景を読み違えて、国内生産にこだわって過剰投資をしたところに、リーマンショックや韓国製・中国製の製品の対等や、地デジ化特需後の需要の落ち込みが重なり、対応できずに経営危機になったといわれています。
大企業とて、ゆったり現状追認していたら生き残れないのです。現在、尖閣諸島問題をきっかけに対中国関係が緊張しています。
毛沢東時代の中華人民共和国とは国交が結べていないまま、戦後25年以上が経過した1972年になって国交が正常化して、今年は日中国交回復40周年の記念の年になるそうです。
戦後の長い間、日本の最大の貿易相手国は断トツで米国であり、それは揺ぎ無く変らないと、ほとんど誰もが思っていました。
ところが、近年中国が米国を抜いて、日本の最大の貿易相手国になってきたのです。
これは、20年前にはほとんど誰もが予想していなかったことだったと思います。
何しろ当時の中国との貿易額は、米国と比較して、輸出額も輸入額も四分の一程度で、大きな開きがあったのですから、予測できないのも無理もありません。
ただし、中国との貿易額が大幅に増えたとはいえ、日本の対中国貿易黒字額がそれ以上に大幅に増えており、中国は大幅に対日本貿易赤字が膨らんでおり、一方的に日本に稼がれているという不満感が募っていたという点は、日本のメディアでは余り報道されていないようです。
同じく領土問題でもめている韓国も同様で、韓国側の貿易赤字が膨らんでいるといいます。
逆に、フランスやイタリアなどは日本側の貿易赤字で、両国の高額ブランド品の輸入が活発であり、日本の輸出が追いついていかないと聞きます。
そして、これら両国に対する日本の貿易赤字が、近年特に大きく拡大傾向にあるようです。
それもバブル華やかなりし時代や、リーマンショックの前よりも大幅にブランド輸入額が多く、それらブランド先進国に対しての赤字額もその当時の額より大幅に多いとのことなのです。
これは、量はいらないが質の良さやこだわりが欲しいと考える消費者が日本には大勢いるということだろうと思われます。
日本の政府は借金を背負い込んでいますが、国民の資産は裕福な国の部類に入るともいわれ、節約をしながらでもその気になれば海外旅行に出かけられる人が数多くいる国でもあります。
以上の背景から見ると、本当に不景気なのか疑う必要があるのではないかと語る研究者も多く、不景気と思い込んでデフレを過大解釈してしまい、『お客様の懐にお金があるのに、使わせる努力をしていないだけだ』という話も耳にします。
一種のデフレ病のようなものに、提供する事業者側も消費者側も惑わされてしまって『無駄な買い物はしたくないけど、本当に良いもの(気に入った・長持ちする)が欲しい』などの消費者の本当の心理に応えてあげていない面もあるように思われます。
1990年から2006年の16年間の統計では、小売店の総売り場面積が30%アップしているのに、小売店の総売上高が3~4%ダウンしているのでデフレだと判断しているようですが、少しでも安くしないと売れないのではないかという一種の強迫観念のようなものが事業者側を支配していることで、消費者の本当に望むモノを提供できていないとも見て取れるのです。
今の姿は仮のものであると認識し、日々自ら変化していくのが鍵だと考えますがいかがですか。

・《諸行無常》の章では、㈱日本総合研究所・調査部主席研究員、藻谷(もたに)浩介氏の講演を参考にしました。