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『辛抱する木に金がなる』 ― 経営感、職業感の再確認 ―

2009年01月20日

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辛抱強くこつこつ励めば、いつかは成功できるようになるという意味の諺です。
「木」は「気」の意味をかけたもので、「金」という言葉を使っているものの、むしろ「何事も我慢強く、最後までやりぬくことが大切」という事の表現です。
英語では、「With patience and time,the mulberry‐leaf becomes a silk gown.」(忍耐と歳月で桑の葉が絹の衣となる)と言うそうです。
似た意味の諺では、「石の上にも三年」、「雨垂れ石をうがつ」など多数あります。
冷たい石でも、その上に三年間座り続ければ温かくなり、軒下から落ちるわずかな雨垂れでも、長い時間同じ所に落ち続ければ、硬い石に穴をあけてしまいます。
英語では「Perseverance kills the game.」(忍耐が獲物を落とす)、「Constant dripping wears away the stone.」(絶え間ない滴(しずく)は石に穴をあける)、などと表現されます。
世界的金融不安から、社会が激変しています。
過去の常識が、常識では無いと考える必要があります。
楽をして手っ取り早くお金儲けができるのではという、行き過ぎた拝金主義や、日本では食べていけないことは無いだろうと、若いうちからひとつの仕事が身に付く前に、次々と転職を繰り返し、気付いたら自分だけの特別な技能が何一つ身に付いていないまま歳をとってしまったなどという状態もあるように見えました。
製造業派遣労働者切捨ても、大企業側の経営モラルの問題や、派遣に関わる法律を製造業まで広げてしまった社会制度上の問題が一番の原因ですが、気楽に試しに働けるのでひとつの道を極めるまでとことん努力する姿勢に欠ける一部の若者の考えに、ある面適合してしまった制度が結果的に不幸を招いてしまったと言ったら言い過ぎでしょうか。
勿論派遣でしか働くことができなかった社会的弱者の方々も多いので、一方的な切捨ては気の毒な限りです。
そこで、今回は改めて「経営とは」「仕事とは」を見つめ直してみたいと思います。

《バック・トゥ・ザ・フューチャー》

スティーブン・スピルバーグ監督の代表作で、主演のマイケル・J・フォックスの出世作となった映画です。
タイムマシンの車デロリアンで、過去の世界にタイムスリップした少年が現代に戻る物語なので、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は「未来への帰還」という意味だと思っていました。
ところが違うらしいのです。
本来は「人は後ろ向きに未来に入っていく」とのことで、バックは背中の意味で使ったとのことなのです。
人に未来は見えないもので、見えているのは過去と現在だけだというのです。
積水化学工業社長・大久保尚武氏の話では経営者には2つのタイプがあり、以下の考え方に分かれるとの事。
確実に見える過去と現在をしっかり見据えて、日々の変化に素早く対応することこそ経営の真髄だとして、「未来は見えないのだから長期計画はつくらない。単なる数字合わせに終わる場合が多い」と言い切る、見える部分のみに対応する現実型のタイプ。
一方で全く正反対の考えに立って、「過去と現在を分析して未来を占う時代は終わった、どんな未来になるかを考えて現在はどうあるべきかと考える時代に入った」として、新しい挑戦を次々と成功させていくタイプの経営者です。
両者とも、今現在を真剣に生きるという点では同じでも、未来の見かたの違いから経営姿勢が異なるのです。
一方は「未来など本当には見えないし、見なくていい」と主張し、他方は「未来のイメージを明確に打ち出すのが経営者の責任」と説く。
さて皆様は未来にどう入っていくのでしょうか。
後ろ向きに入っていくのか、それとも前向きに入っていくのでしょうか。

《渋沢栄一氏》

まず過去を振り返って、近代日本の資本主義経営の確立に多大な貢献をした偉大なリーダー・渋沢栄一氏から学んでみましょう。
明治45年の渋沢氏の著書「青淵百話」を再編した新刊「人の上に立つ人の見識力」が最近発刊されました。
渋沢は「論語」の思想を生き方の基本としてきました。
そんな彼が、自身の体験、論語や先哲の言葉を引きつつ、生き方を説いた書です。
望ましい人生観、真の成功、困難の克服法等、人間力を高める上で心に留めたい様々な話が載る名著です。
彼は第一国立銀行(現みずほ銀行)の創設をはじめ、実業界の第一線から退くまでの間に500余りの会社を設立、「日本の資本主義の父」と呼ばれます。
江戸時代末期に現埼玉県深谷市に生まれた彼は、幕末には尊皇攘夷運動に参加、明治になり欧州各地を視察して帰国後、大蔵省(現・財務省)に勤務、辞職後は実業に専念し、事業を通じて公益を追求するという志を貫きます。
晩年は、社会・教育・文化事業に力を注ぎ、東京高等商業(現・一橋大学)の設立等に奔走します。
教育機関、社会公共事業の支援に広く関係した人です。
以下は彼の著作からです。

自分の器を大きくし、人間力を増やすには、次のことを心に留める必要がある。

①人生観が人を決める・・・

人生観は二つに大別される。
自分の存在を客観的にみるか、主観的にみるかのどちらかである。
客観的というのは、自分の存在は第二として、まず社会があることを思い、社会のためには自分を犠牲にしても良いと言うまでに、自我を押し殺す生き方。
逆に、主観的というのは、自分を第一に考え、次に社会を認める考え方である。
後者は、極端になると、自分さえ良ければ他人はどうでも構わないという考え方になりがちで、犯罪者として収監される人を統計的に調べると、このような自分優先の共通性が見られる。
論語の中で孔子は、「仁者は己れ立たんとして欲してまず人を立て、己達せんと欲してまず人を達す」と説き、人を立て、その望みを達成させてから、自分自らの望みを達しようとする働きを示し、人の振る舞いの順序はこうあるべきだと教えています。
自分の都合ばかりを優先して考える人が大成できるかというと、実際は違います。
自分のことばかりを考えていることが、かえって自分の為にはならず、不幸に陥る原因になり、それと反対に、自分のわがままな心に打ち勝ち、客観的に我が身を考える人は、他人の為を思うことがかえって我が身の為となってくるものです。
要するに、仁義道徳の念のない者は、人生において最後には敗者とならなければならないものなのです。

②人間としての成功・・・

世間では、自分の仕事が都合よく運び、自分も利益を得たことを指して「成功」と言うらしい。
例えば、会社を起こし、株価が上がり、名声、信用ともに高くなったというような者を指して成功と言う。
だとすれば、成功とは富と地位と、事業が成功したことばかりを指すことになってしまうが、そうではない。
成功を論じるには、結果だけに注目しないで、その人が経営した事柄について、動機、内容、手段を一部始終観察しなければならない。
もし、結果だけで成功失敗を論じるならば、人は結果にばかり重きを置くようになり、「目的を達するには手段を選ばず」と、こっそりと悪事も行い、最後は「終わりよければ全てよし」に逃げ込んでしまいかねない。
このような結果を成功と呼んで良いとは思わない。
真の成功とは、「道理に欠けず、正義に外れず、社会に利益を与えるとともに自己の富貴に至る」ものでなければならない。
「成敗(成功と失敗)をもって英雄を論ずるなかれ」は古人の金言で、敗れた者を何が何でも失敗者とし、勝ちを収めた者を何の理由もなく成功者としてはならないと警告した言葉である。
実業界でもやはり同じで、その富むに至った道、敗れるに至った道により、初めて成功と失敗とが明確に分かれるものである。

③人格修養の秘訣・・・

今の青年にとって切実に必要を感じるのは、人格の修養である。
以前は社会に道徳的教育が比較的なされていたが、西洋文化の輸入につれて思想界も変革をきたし、道徳は混沌となった。
儒教は古いとして退けられ、といってキリスト教が一般の道徳律になっているわけではないし、新道徳が成立したものでもない。
従って青年一般の人格修養がなおざりになっている。
社会の風潮として、人は利己主義に走り、今では社会に貢献しようとするよりも、自分を富裕にしようとする方が主流となっており、極めて嘆かわしい。
基準とすべき道徳律が確立されて、人がこれを守って社会に立てば、人格は自ずと養成されるから、社会は皆が我利を図るというようなことはなくなる。
知能が発達を遂げて、物に応じ、事に接して是非の判断ができたとしても、人格修養が不足していれば正しい判断はできない。
根本的な道義観念と知能が一致して初めて、処世上何の誤りも仕損じもなく成功の人として全うすることができるのである。

④逆境・試練の克服法・・・

世間では順境、逆境という言葉を簡単に使っているが、その人の努力、知恵が足らないところから逆境を招いている場合も多い。
順境とか逆境がこの世の中にあるのではなく、人が自らによって順逆の二境を作っているのではないか。
もしその人に優れた知能があり、加えて努力していけば、決して逆境にいない筈。
逆境がなければ、順境という言葉自体もなくなる。
自ら進んで逆境という結果を作る人があるから、それに対して順境という言葉もでてくるのです。
例えば、気候のせいにして「寒いから風邪を引いた」と言い、普段から注意を怠って体力を低下させて病気を招いたとは口にしない。
それなのに世の中の人は、自分の無能や努力不足を棚上げして逆境に陥ったように言う悪い癖がある。
だから「絶対に逆境などはない」と言い切りたいのだが、そこまで言い切れない場合がひとつある。
それは勤勉精励で人の手本と言われる人物でも、順当に志を遂げていく者と、反対に何事も意に反してつまずく者とがあるからだ。
真の意味の逆境とは、このような場合である。
自分がどんなに頑張っても、社会風潮、周囲の事情がこれを逆の方面に運んでいく。
このような自然的逆境に立った時の対処法は、「それが自分の運命である」と覚悟するのが唯一の策。
これは天命であるから仕方がないと腹をくくれば、心は平静を保つことができる。
しかし、この場合を人間の力で何とかなると考えると、苦労の種が増すばかりか、最後は逆境に疲れて、後日の策を講ずることさえもできなくなってしまう。
だから自然的逆境の中では、天命に従ってじたばたせず、おもむろに来るべき運命を待ちながら、挫折しないで努力するのが良い。
一方、人為的逆境に陥った場合は、自分で反省して悪い点を改める。
世の中のことは、自分が頑張れば、大抵のことは目的を遂げられる。
その他、渋沢氏は本の中で以下のことを言っています。

⑤自省力の強い人ほど意志の力も強い
⑥人に対しては絶対に誠意を欠いてはならない
⑦小さな事を軽くあしらわず、大きな事にひるむな
⑧社会の利益になり道理にかなうかどうかで判断

最後に渋沢氏は論語を例にして、「成功は常に苦しい日々の中にあり、失敗は調子に乗った慢心に原因がある」これが真理であると結んでいます。

《稲盛和夫氏》

27歳で京都セラミック(現京セラ)を創業、52歳で第二電電(現KDDI)を起業、両社合わせて売上高約5兆円の企業へと躍進させたのが稲盛和夫氏です。
稲盛氏は、最近の著作で自ら人生観を披露しています。
人生における「真の成功」とは、財を成すことではなく、少しでも美しく善い人間となれるよう、魂を高めることであると。
そうした真の成功を得るために、いかに生きるべきかを語っています。
明治初期の日本近代資本主義の旗頭だった渋沢栄一氏と、現在の経済界の牽引車的リーダーである稲盛和夫氏と志していたものが非常に近いことに驚かされます。
今回、渋沢氏の著作を詳細に載せたのは、不況により、不安感が広がることで、経営者も勤労者も一般市民としての立場でも、精神的に困惑している人々が多いと思われたことからです。
人生の目的としていたものから挫折して迷う人や、価値観が激変して、社会的に善とされたことが悪となり、その逆もあって、日本のリーダー達も狼狽しているようにも見えたからです。
原始の時代から、人は単独で野獣とは戦えない為、知恵を使って集団で狩りをし、家で待つ体が弱くて狩りに参加できない者にも、獲物を分け与え、農耕でも同様に共同作業で得た収穫物を皆で分け合い、協力し合って生きてきました。
自然の前では人の力などは単独で対抗できるわけも無く、それを知っていたからこそ、助け合う知恵が生まれ、社会を大切に育んできたと思います。
しかし、高度に発展した都市社会の中では、本当は一日の食糧を自分一人では得ることさえもできない、非力な人間であることすら忘れてしまいがちです。
自然の脅威にさらされたことのない人間は、どうしても周囲の人達により与えられている食糧や水や着衣や電気などで生かされていることすら忘れてしまいます。
結果として、自分さえ良ければという発想に陥りがちで「世の為、人の為、社会の為」という大前提が後回しになりがちに見えます。
政治的リーダーや上級公務員にも人の為に自分の人生を捧げるという気概の人が少ないことで、弱者切捨ての冷酷な社会になっているのではと危惧しています。
ただ一点の光明は、自分さえ儲かれば良いという行き過ぎた拝金主義が終わりを告げ、お金をたくさん持っていることが、以前ほど価値を生まない社会になってくるかも知れないこと。
たくさん所有することより、皆で分かち合うことが重要であると気付く社会に変貌していくかも知れません。
理美容業はサービス業です。
人を幸せにしたり、心の豊かさを直接与えることのできる素晴らしい業種です。
渋沢氏、稲盛氏のように、「世の中に貢献するんだ、人の為に役に立つんだ、喜んでいただくんだ」という姿勢を貫けば、不況などものともせずに、結果として自らの幸せにつながっていくのではないでしょうか。

日経紙コラム「あすへの話題」より積水化学工業社長・大久保尚武氏の話、渋沢栄一著・三笠書房刊「人の上に立つ人の見識力」、稲盛和夫著・致知出版刊「成功と失敗の法則」を参考にしました。