『船は帆でもつ、帆は船でもつ』 ― 風向きや流れる方向を見極める大切さ ―
モーターやエンジンなどの動力が無い太古の時代には船は風任せでした。
飛行機や鉄道、自動車も無い時代に人間が創った文明の利器のシンボルだったことでしょう。
この諺は、帆があるから船は走れるし、帆は船というものがあるからこそ存在価値があるということから、つくられました。
『世の中はもちつもたれつ、互いに助け合ってこそうまく成り立っていくものだということ』の意味で使われます。
船をサロンや会社、帆をスタッフや社員に置き換えてみても諺が成り立ちます。
また、帆をお客様や仕入元などの取引先に置き換えても諺の意味が成立します。
飛行「船」がエア「シップ」、飛行機が登場しても空「港」(エア「ポート」)、搭乗「橋」(ボーディング「ブリッジ」)など、船の時代を受け継ぐ単語が空の世界にもたくさん使われます。
諺の数についても、船を使うモノが大量に存在します。
今回は船に関する諺から、現在のビジネスに有効な考え方を探してみたいと思います。
《舟は帆任せ、帆は風任せ》
帆掛け舟の進み具合は帆次第、その帆は風次第で、自力でなんともしようがないという意味からできた諺です。
「ことのなりゆきにすべてを任せて、なすがままに身をゆだねる」ことを表し使われます。
どちらかと言えば、良い意味で開き直り、運を天に任せる場合に使います。
投げやりの様にどうにでもなれと身をゆだねることではないと思います。
しかし、舟の上に身を任せ、風に任せているだけでは、当然経営は成り立ちません。
戦後の高度成長期には、現在の中国と同じように日本の経済は発展しており、物価も上昇し所得も上昇し続けていました。
理美容サロンにもまさに追風が吹いていた訳で、「順風満帆」という諺通りの時代だったのです。
時の流れに身を任せていれば、大きな冒険さえしなければ、安定した成長が計算できる業界状況にあったのかも知れません。
では現在はどうかというと、日本の経済状況そのものも向い風の上、業界にも逆風が吹いていると言われています。
ですから、「帆任せ、風任せ」では、進むどころか、どこへ流されていくのかわからないという状況なのです。
やはり、最初にご紹介した『船は帆でもつ』のほうで、お互いにもちつもたれつ助け合いながら、チームプレーに徹していかなければならないと思います。
帆船やヨットは帆の操り方次第で、前から吹いて来る逆風を受けとめて、勢い良く前へ進むことが可能なのだそうです。
むしろ強い横風の時の方が操縦は難しく、それ以上にも更に困るのが無風の時なのだそうです。
強い逆風の時は頭を使って、巧みな帆扱いで前進推進力に変えることが可能なのです。
《呉越同舟》
中国の春秋時代、呉の国と越の国の両国は仲が悪く、しばしば戦っていたそうです。
呉の人と越の人が同じ舟に乗り合わせましたが、その舟が嵐に巻き込まれ、両者は互いに助け合って危険から逃れたそうです。
この話を基にして、敵と味方が同じ場所に居ることの例えとして使われるようになりました。
また、敵と味方や仲の悪い者同士が、共通の利害から力を合わせることの例えでも使われるようになりました。
10月19日からスタートしたギンザファッションウィーク(GFW)で、呉越同舟そのもののような形が見られました。
銀座中央通りの同じサイドで、銀座4丁目と3丁目、徒歩30秒の至近距離で並び建つ、銀座三越と松屋銀座が合同プロモーションを構えたのです。
日本橋を本店として創業した三越が銀座に支店を出店した昭和5年以来、80年以上も競合関係にあった、ライバル同士が初めて手を組んだのです。
両店より有楽町駅に近い数寄屋橋交差点近くに、阪急メンズ館ができ、10月28日にはルミネ有楽町店がオープンすることもあり、交通至便な有楽町に対抗して、銀座ブランド復活と銀座の活性化の為に三越と松屋が手を組んだのです。
両店は共同のキャンペーンばかりでなく、バッグ等の共通ブランド品を開発したとのことです。
大阪では阿倍野地区の再開発で今春オープンしたキューズモールの開発主体である東急グループが、長年天王寺阿倍野エリアの中心であった近鉄グループと手を組み、阿倍野地区活性化計画をスタートしています。
大阪市内では初の大型開発を行う東急グループが、近鉄グループと手を握ることによって、梅田エリアや難波エリアに負けないもうひとつの核エリアとして、天王寺・阿倍野地区を活性化させたいという思いが、このジョイントを結実させたようです。
梅田エリアでは阪急百貨店と阪神百貨店という長期間のライバルが実質的合併ともいえる経営統合もありましたし、伊勢丹と経営統合した三越が、三越伊勢丹名称の初ブランド名店舗を今年大阪駅にオープンしました。
この他にも松坂屋が大丸と合併して発足したJ・フロントリテイリング㈱、そごうと西武とが合併したミネニアムリテイリングを更にセブン&アイ・ホールディングスが吸収合併した上、自社のもっていたロビンソン百貨店を経営統合するなど、江戸時代や明治時代から続く老舗百貨店の経営統合が進んでいます。
「昨日の敵は今日の友」の世の中になってきているのです。
理美容業界の大手美容室チェーンの経営統合や合併についても、数多く出てきています。
しかし、そこまでいかずとも、三越と松屋の同地区での共同キャンペーンのように、近隣エリアで理美容室同士が共同歩調を取ってお互いの活性化を図ることは可能だと思うのです。
業界内の進歩的経営者団体では、同エリア内の加盟サロンの活性化策として、踏み込んだ合同キャンペーンや共同オリジナル商品の企画製造もされています。
もはや、近隣の同業者は敵ではなくて、一緒に高め合っていくパートナーとして、見なさなければならないとも感じます。
《入船あれば、出船あり》
港に入って来る船があれば、反対にこれから出ていく船もあるように、世の中のことは色々、さまざまであるということの例えで使われる諺です。
近い諺では、「片山曇れば、片山日照る」というものもあります。
こちらは、一方で悪い事があれば、もう一方では良い事があるものだという意味で使われます。
auが、今まで日本ではソフトバンクが独占していたi‐Phoneを4Sから取り扱いするようになりました。
一気に携帯通信業界が熱く動き出しました。
auは今まで推奨してきたアンドロイドとウィンドウズphoneに加えてMacOSを手に入れて、唯一3つのOSを全て持つことになりました。
日本の携帯通信システムは、半官半民の国策企業だった電々公社を民営化してNTTができ、その後携帯電話が広まっていく際に、外国からの参入を阻むような障壁となる規制を設け、NTTドコモが独占スタートしたようにも取れる歴史があります。
後には外圧によって、複数の通信会社が参入できる様になり自由化されましたが、世界共通の仕様からは、かけ離れたガラパゴス的な片寄った進化で仕組みが作られ、発展してきました。
例えば、日本の携帯を海外に持ち出すと思うように使えなかったり、外国から持ち込んだ場合も国内で思うように使えなかったという様な進化の状況でした。
国際的に圧倒的に優位だったCDMA方式の通信方法をauしか積極推進しなかったということもあるようです。
今回のi‐phone4Sは2種類のアンテナを持ちその場所で最適な電波を携帯端末側が自動的に判断して、どちらかの方式の受信をするというものです。
今までの日本仕様のi‐phoneは、日本国内でのみソフトバンクの電波を受信できれば良いものを販売していました。
今回はCDMA方式のアンテナも、もうひとつ内蔵して発売するということですので、日本国内で使用する場合でも、ソフトバンクとauでは、知らぬ間に違うアンテナで送受信をしていることになります。
元々、音質が良いとされてきたCDMA方式でエリア拡張を計ってきたauの通信エリアと、ソフトバンクの通信エリアの違いなどによる利便性の勝負になるのかも知れません。
NTTドコモ側もじっと見ている訳ではなく、たくさんのスマートフォンの発売を発表した上に、水面下ではi‐phoneの取り扱いも視野に入れて交渉中との噂もあります。
圧倒的シェアをかつて誇っていたNTTドコモは自社に優位な独占的制度の撤廃による、本当の意味での自由化を迫られてシェアを奪われてきました。
ソフトバンクの「お得」制度で首位を明け渡し、「着うたフル」や「音質」でauにトップシェアを奪われた時期もありました。
i‐phone攻勢で更にシェアを落とすとも見られたドコモですが、官僚的体質を改めるべく、大幅に社内体質を改革し、民間の血を入れて消費者ニーズを探り、沢山の新製品発売とサービス向上を図って、トップシェアを奪い返してきました。
官の代表格のようにも見えたドコモが完全に民に変質してきたと見る専門家もいます。
民の代表格として、ゼロから叩き上げてきたソフトバンクグループの孫正義氏と、京セラを起こし、現在はJALの立て直しまで請け負う、現代の民間を代表するカリスマ経営者KDDIグループの稲盛和夫氏と、ドコモを交えた政治力の戦いのようにも小生には見えるのです。
稲盛氏は元々国際電話を扱う国電々がDDIに完全民営化された後も、官僚体質を引きずっていたのを改め、さらにトヨタなどにも出資を呼び掛けて民の結集としてauをつくりました。
auはトヨタ系カーディーラーや、有線放送企業など沢山の資本グループ下のネットワーク企業から販路を拡大してきました。
携帯電話は携帯電話の会社から
のみ販売するものではないという新しい考えでの戦略です。
《渡りに船》
法華経から出た諺だそうです。
川を渡ろうとしていたところに、都合よく船が来るという意味から、「あることをやろうとしているときに、都合のよいことに思いがけず出会う」ことのたとえで使われます。
同業者は決して敵ではなく、活性化のパートナーとして手を組み、合併や経営統合すらも考えられる運命共同体と捉えるという発想転換をしてみたらというご提案をしてきました。
また、携帯電話のお話では、変化に対して柔軟に対応する姿勢の重要性について触れました。
10月20日付日経に、一年前に通信販売の総合売上で日本一となったジャパネットたかたについてのニュースが載りました。
同社はテレビショッピングやラジオショッピングで有名ですが、折込チラシ、カタログ送付、インターネット、メールマガジン等、できる手段はすべて活用する複合型通販企業なのです。
二年連続で通販Nо1企業に輝いた同社ですが、本年度は通販サイトが47%の大幅な伸び率を示して、今まで一番の売り上げだったテレビショッピングを超え、ネット経由がテレビを抜き去ったのです。
高田社長のかん高いトークで有名になりテレビ通販の印象が強いだけに、そして色々な媒体を使う同社の中でネット経由が一番になった事実をしっかりと受け止めておくべきだと思います。
同社は、高田社長の実父が長崎県佐世保市郊外で開いた小さなカメラ販売店(有)たかたカメラが前身で、1974年に就職先から戻った高田明氏が、12年後に独立して(株)たかたにしたのが始まりとのこと。
それから25年で、1161億円の売り上げの会社を九州の西端で創ってしまったのですから凄いことです。
通販業界では伝統的なカタログ販売が減少傾向にあるそうです。
その代表格であったニッセンが、携帯電話やスマートフォン経由の売り上げを大きく伸ばし、カタログの不調をITでカバーして2位だった千趣会を抜いて、3位から2位に上昇しています。
現在は驚異的なスピードで登録会員を増やしているフェイスブックやツイッターなども、顧客とのつながりを深め、顧客の要望収集、そして情報発信の為の有効な手段となってきています。
ジャパネットたかたは小都市のカメラ店から、ラジオやTVショッピングのチャンスをものにし、そこに経営政策を集中し成功していきました。
しかし、次々とあらゆる手も打ち、一度購入された顧客にインターネットを使ってフォローして、遂にはネットサイト経由が最大の売り上げになりました。
これは過去のTVなどの成功例に縛られず、近づいてくる「チャンス」に対して「渡りに船」と認識し、船に乗っていくことを続けたからだと思います。
ITは販促に使うというよりも、お客様との親密な人間関係を創りファンになってもらうこと、そして店のブランド構築の要素の方が強いと思います。
その為にサロンサイドとしては、i‐Phone等のスマホやi‐Padなどのタブレット端末の活用、そしてフェイスブックやツイッターといったコミュニケーションツールの活用等、船に乗り遅れずに、それらを「渡りに船」のチャンスと思えるかどうかにかかっているかと思いますが、いかがでしょうか。
船の運航(経営)は、決して風任せ(景気次第 )ではないということは、経営者としてしっかりと認識しておきたいものです。