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『負けるが勝ち(価値?)』 ― 商売に勝ち負けがあるのだろうか? ―

2011年02月20日

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あえて無理には争わずに相手に勝ちを譲ったり、一時的に負けたことにしておいた方が、結果的に有利になり、結局は勝ちにつながることを意味する諺です。
「江戸いろはがるた」の「ま」にも登場しています。
英語では、「He stoops to conquer」(勝とうとして身を屈する)と表現するようです。
少し前の時代まで「勝ち組」「負け組」といった言葉が、世間では頻繁に使われていました。
最近は、以前ほどこれらの言葉を目にしなくなりましたが、当時勝ち組とされていた人が没落したり、反社会的行為で逮捕されたり、逆に負け組とされてた人が脚光を浴びる等、世の中が変化しているようにも見えます。
今回は、商売には勝ち負けという概念が必要なのか、勝ち負けにこだわっていて永続的な良い関係を保ち続けることが可能なのかを考えてみたいと思います。

《八百長(やおちょう)》

日本の国技である相撲界が揺れています。
野球賭博問題に続いて表面化した八百長問題によって、年に一回の大阪での本場所(春場所)が中止に追い込まれました。
大相撲は江戸時代から続く興業ですが、「八百長」という言葉は明治になってからできたものだそうです。
明治初期に実在した八百屋の長兵衛(通称・八百長)さんが語源になっているようです。
この八百長さんは囲碁の腕前に優れ、非常に強かったそうです。
この人は当時の相撲協会の理事長と碁を打つとき、わざと勝ったり負けたりして、勝負に細工をしていたといいます。
このことから、八百長とは真剣に争っているかのように見せかけて、実は前もって打合せをして行なうインチキな馴れ合いの勝負をいうようになりました。
元々は相撲の勝負についてのみに使っていた言葉のようですが、後にその他のものにも一般的に使われるようになりました。
大相撲は江戸時代から続く興業という表現をしましたが、「興業」は英語に訳すと「アトラクション」で、客寄せや娯楽的催物や余興の様な意味になります。
つまり、競技会や選手権大会の様に勝負を競い合うのではなく、そもそもが喜んでもらい、足を運んでもらうための催しの色彩が強いものだったらしいのです。
ですから、江戸時代~明治時代への時期も、人情相撲と呼ばれる「対戦相手を優先して、義理人情を立てる取組」が半ば公然と存在し、観客もそれを分っている側面もあったと聞きます。
それが江戸時代の日本文化だとしたら、八百屋の長兵衛の行為をすぐに相撲に当てはめたこともうなづけます。
因みに、八百屋の長兵衛は囲碁をわざと負けてあげて親方のご機嫌をうまく取り、八百屋の商売も大繁栄させたといいます。
正に「負けるが勝ち」を地で行った人なのかも知れません。

《損して得取れ》

目先のちょっとした損には目をつむって、のちのちの大きな利益を得られるようにすべきだという意味の諺です。
英語では、「Sometimes the best gain is to lose.」(時には損が最高の利)と表現されます。
「損せぬ人に儲けなし」という諺も同じ意味です。
「完本1976年のアントニオ猪木」などを著者に持つノンフィクションライターの柳澤健(たけし)氏によると、プロレスの世界では真剣勝負は御法度で、結末の決まったショーなのだと彼は断言しています。
ウルトラマンが必ず怪獣に勝つ様に、観客がハッピーエンドに満足して次の興業に足を運ぶようにする演出なので、ウルトラマンを八百長だと指摘しない様に、プロレスには八百長という概念は存在しないのだそうです。
プロレスでは正義の味方と悪役が一致協力して試合を盛り上げ、最終的に正義が勝つ、つまりウルトラマンと同じです。
アントニオ猪木は1976年にボクシング世界王者のモハメド・アリと対戦し、引き分けましたが、この試合は真剣勝負で異例中の異例であり、普通はストーリーを組み立てて、その中で観客を喜ばすショーだというのが柳澤氏の主張なのです。
戦後間もない頃、力道山が悪役の外国人レスラーを打ち負かす姿は、敗戦に沈む国民の希望となりました。
しかし、その後ジャイアント馬場、猪木らの時代になると、大人たちは次第にプロレスが観客の欲望を満たす装置に過ぎないと気づくようになり、二人の引退とともに下火になり、他の本気の格闘技に人気が移ってしまったと柳澤氏は言います。
大相撲は品格や伝統、礼儀など国技としての歴史を勝負以外の部分で持ちながら、同時にスポーツとしての競技性も明確にしていった様に小生には思えます。
更に柳澤氏の言葉を借りると、「大相撲がプロレスと同じなら、観客にハッピーエンドを提供しているはずだが、現実的には大多数の日本人が日本人力士の勝利を望んでいるにもかかわらず、モンゴルからの力士達が横綱になり、上位にも欧州出身者などの外国人力士がずらりと並んでいるのは、番付が公正に実力で決められているのは明らか」ということになります。
今回の八百長疑惑で不正な取組みが仮にあったとしても、総ての取組が真剣勝負ではないと断言することは愚かなことだと思うのです。

《手心を加える》

八百長のようにイカサマ臭く人を騙すようなニュアンスではないが、近い表現として「融通を利かせる」「顔を立てる」「手心を加える」などがあると語るのは、国語学者の金田一秀穂先生。
先生によると、これらの表現には善悪をはっきりさせない、日本人の心性が透けて見えるのではないかと言います。
日本の社会を動かす原理は、人と人との情であるとの主張です。
情が基本だから「敵」という概念も薄い上に、源義経の様に負けた方が人気の出る「判官びいき」という考え方があって、悪役を完全な悪とせずに人情を残す文化があるのではないかとの説を金田一先生は唱えています。
「手心」とは、事を程良く扱うことで、その事情をよく考え、事情に応じて適合してはからう手加減のことを言います。
「手心を加える」とは、物事をその場に応じて寛大に取り扱うことを言います。
相手が立ち直れない程にまでは、徹底的にやっつける事をしないという意味のことなのです。
つまり、手には心があって、単に手を動かすのではなく、心の命令で手を動かしながら、手でも具合を感じとって、心に相談して力加減を調整して、手に心をこめて動かすのが「手心」ということだと小生は思います。
何だか、技術職であり、サービス業でもある、私達サロンビジネス業界人の為に準備されたような言葉だと思いませんか。
スポーツの領域は好きなだけに、いくら誌面があっても書き切れなくなりますので、このあたりで我々の業界の話に戻ります。
先日、福岡県北九州市の美容室経営者、㈲バグジーの代表取締役・久保華図八氏の講演を拝聴する機会に恵まれました。
小生にとっては二年振り四回目の久保氏の講演受講となりましたが、講演受講マニアの自分にとっても、最上級の感動と気づきを得られる素晴らしい内容のセミナーでした。
大阪市内で、多業種の受講生を前にして行った大勢の参加者のセミナーで、「従業員の満足こそが、企業を伸ばす~心の教育と経営との関係を考える~」というタイトルでした。
想像してみて下さい、中には東大卒の方々もおられるような、大企業経営者や幹部等、大勢の受講者を前に、自ら中卒の十五歳で美容の世界に飛び込んだと語る久保氏が、人の気持ちを重視した経営哲学を堂々とぶつけ、思わず小生も含めた受講者が涙にむせぶ状況は感動的でした。
この講演の一部内容は、今回も含め数回に分けて、当欄で紹介していこうと考えています。
それは正に、「手と心が密着した」話ばかりだったのです。

《顔を立てる》

バグジーさんには約100名の社員さんがおられるそうです。
本業を一番大切にするという意味で、技術とサービスの部分を徹底強化されているそうです。
技術面では、職業訓練校をつくり、営業時間内トレーニングも含めて一人当たり最低でも月間60時間、最大で90時間のトレーニングをしているそうです。
もうひとつの柱であるサービス面が更に凄いと思います。
お客様が喜ぶことなら、何でも自己判断に基づいてやって良い、つまり「何でも有り」が基本的な考え方だそうです。
これが「勝ち負け」ではない「質」の行動につながると久保氏は言います。
お客様がいかに感動してくれているのかを判断するモノサシは「紹介客数」で、これを見極めのルールとしているそうです。
年に一回、お客様に一番感動を与えたスタッフを「サービスのMVP」として表彰し、副賞としてバリ島旅行を贈るそうです。
前回の受賞は、25歳の男性スタッフです。
彼のお客様の41歳の女性がいつもの元気がないので、心配して彼は声をかけました。
聞けば、そのお客様のお母様が、肺がんが進行して末期がんとなり、医師から余命2カ月の宣告を受けていたとのこと。
そのお母様は、沖縄が大好きで毎年一回沖縄旅行に行くのを楽しみにしていたが、もういけないと娘は涙ぐんだそうです。
それを聞いたスタッフは、「次の○曜日にお母様を是非連れてきて下さい、絶対ですよ」とお約束して、準備に取りかかります。
スタッフ全員にアロハシャツの着用を頼み、近くの花屋さんにお願いして20本のパイナップルの木を一日だけ借りて、スタッフ皆でサロンに運び込みます。
沖縄の風景や花の写真で店内を飾り、沖縄音楽をBGMにして、ハイビスカスの花の首飾りをつくって母娘の来店を待ちます。
当日朝、何かが足りないとスタッフで相談して、皆で白砂まで運び込み、床にまいたそうです。
そしていよいよ、母娘が来店されますが、二人がいかに感動されたかを想像していただきたいと思います。
きっと一生にそう何度もないような喜びと、感激の涙が一杯だったんだろうと思います。
涙をこらえ切れなくなったお母様はトイレに入ったそうです。
そのトイレにも沖縄の心地良い波の音が仕掛けてあり、その音とともにむせび泣く声が聞こえていたとのことです。
ここまでの感動をお店からいただいたら、娘さんは一生そのお店から離れないでしょうし、お友達や親戚にこのお店での感動を一生涯お話しし続け、このお客様が他のお客様をご紹介し続けていただくに違いありません。
もちろん、この話を講演会で聞いていた大勢の受講者のすすり泣く声が大ホールに響き渡っていたのは言うまでもありません。
お店のスタッフとお客様が感動を共有したのと同じで、久保氏とセミナー受講者も感動を共有し、心に残る時間をもシェアできていたのかと思います。
他にも素晴らしいお話が沢山聞けましたので、追い追い当欄でお伝えしていきたいと思います。
「顔を立てる」とは、その人の名誉が保たれるようにすること、そして相手方のことを思い、尊敬して尽くすことです。
商売の原点は「勝ち負け」「儲かること」の以前に、お客様を敬愛して、喜びと感動を得られるように尽くし切ること、そして、そのお客様の感動を提供者側も共有していくことなのだと思いますが、いかがでしょうか。
今回は、朝日新聞3月17日付朝刊「オピニオン」より、国語学者・金田一秀穂氏とノンフィクションライター・柳澤健氏のコラム、2月18日の大阪市での㈲バグジー・代表取締役・久保華図八氏の講演から一部引用しました。