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『脱兎(だっと)のごとし』 ― 攻める年なのか?、守る年なのか? ―

2011年01月20日

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ウサギ年にちなんで兎の入った諺でスタートします。
「脱兎の如し」は行動が非常にすばやいことのたとえで使われる諺です。
「脱兎」は逃げるウサギのことなので、追われると必死になってスピードが増すことを言っているようです。
中国の古典で孫子の書いた「兵法」という戦のやり方の心得の書物に出てくる表現の一部です。
正式には「始めは処女の如く後は脱兎の如し」というもので、始めは少女のように弱々しく見せて相手を油断させ、後になると目を見張るような力を発揮させるたとえとして使われます。
また、始めはのろのろとしていながら、後では逃げる兎のように素早い行動を取るたとえでも使われます。
以上が、辞書に載っている説明なのですが、「孫子の兵法」を解説する人々の言葉を借りると、もっと深い意味があるのです。
それによると、本当の意味は、「守りのときは、ただじっと抑えて守る事だけを意識して守っているのではなく、今度こちらが攻めるときには、どれほど勢いよく攻めるかを考えて守りに徹せよ」との意味だそうです。
他店(社)に勢いがあり、自店(社)が劣勢にある時や、景気低迷で我慢を強いられている場合などは、じっと耐えていなさいというのが孫子の教えです。
そして、ただ辛抱しているのではなく、攻めに乗じた時には一気に攻められるように、耐えながらしっかりと準備をしておくことが重要だというのが孫子の一番言いたいところなのです。
非常に今の時流に合った教えだと思うのは小生だけでしょうか。
「脱兎の如く」を英語で表現すると、「run away at top speed」や「like a scared rabbit」となりますが、「with lightring speed」(稲妻の様な速度で)や「as fast as one can」(可能な限りの速度)などとも表現されるようです。
今回は、兎にちなんだ話題から経営を考えてみたいと思います。

《ダットサン》

DUTSUN~これは日産自動車の歴史あるブランド名です。
2002年の排ガス規制でダットサントラックが生産中止になって以降、長く続いたブランド名が途絶えてはいますが、北米地区を中心に世界ブランドDUTSUNの知名度は衰えておらず、日産自動車はブランド名の復活を検討しているといいます。
このブランド名の誕生は戦前に逆上ります。
買収や合併を繰り返し、現在の日産自動車に発展していく前の時代からのブランド名です。
列強各国に肩を並べようと日本が富国強兵を計っていた大正14年(1924年)の誕生です。
軍用車を輸入に頼り、自国開発ができていなかった日本は、戦争に突入した場合に経済封鎖で軍用トラックが入手できなくなる恐れをかかえていました。
1924年に、ダット3トラックは軍用保護自動車として快進社により生産を開始されました。
快進社の創立メンバーの田(でん)健冶郎氏の「D」、青山禄朗氏の「A」、竹内明太郎氏の「T」のそれぞれの頭文字を合わせ、早く走ることの例えに使われる「脱兎」の意味を含ませて、「脱兎号」(DAT CAR)を商標としました。
その二年後に、快進社は実用自動車製造㈱と合併してダット自動車製造となり、さらに二年後の1930年にDATの「息子」を意味する「DATSON」を商標登録します。
1932年になると、「息子」の「SON」が日本語読みでは「損」を連想するために、音が同じで太陽を意味する「SUN」に改められ「DUTSUN」となります。
以来、戦前~戦後を通じて、日本を代表する自動車ブランドとして、1981年に以降のすべての新型車を「NISSAN」ブランドに変更して「ダットサン」ブランドの使用を中止し統一していく方針発表により、2002年に最後のダットサンブランド車が姿を消すまでの70余年に渡って使われ続けます。
特に高度成長期には、「車といえばダットサン」、「一家に一台ダットサン」などと宣伝されて知名度が高まり、トラックのみならず、サニー、ブルーバード、フェアレディZなどの頭にブランド名として使われます。
特に、海外向け輸出車では、日本名では「セドリック」「スカイライン」「バイオレット」などもすべて「ダットサン」の車名に型番数字を入れる形式で発売されたために、NISSANは知らなくてもDATSUNは知っているという逆転現象になっていたようです。
また、トラックの分野でのダットサンは海外知名度が抜群で、「ダットサンズ」というロックバンドが登場するほどだったと聞きます。
逃げる兎が「脱兎のごとく早い」というのは「ダットサン」のヒットによってポピュラーになったのかも知れません。
ダットサンブランドが休止したことによって、「脱兎の如く」もあまり使われない言葉になってきたような気さえします。

《二兎を追う者は》

「二兎を追う者は一兎も得ず」という諺があります。
この諺は古代ローマを起源とする古いもので、英語で「If you run after two hares,you will catch neither.」と表現されたものが外来し、日本語訳されたものだそうです。
同時に二匹の兎を捕まえようとすると、結局一匹も得られないという意味から、「頑張って一度に二つのものを狙うとどちらも手に入れられないこと」の例えで使われます。
日本の諺では、他に「あぶ蜂取らず」という同じ意味の諺もあります。
反対の意味の諺では、「一石二鳥」や「一挙両得」という諺も存在しますが、現在の情勢ではその様な上手い話はそうあるものではないと思います。
やはり、一つの目標を決めたら、それを目指して一途に努力することが肝心だと思います。
イソップ童話の「ウサギとカメ」は、亀よりも格段に速い兎が、目標(ゴール)を目がけて走るのではなく、相手の亀をなめてかかり、相手との関係論や競争力の比較を見てしまい失敗してしまう教訓話だと思います。
一方の亀は歩みはノロくとも、一途にゴールを目がけて休まずに歩き続けた結果として、勝利が待っていたんだと思います。
そこには「相手が早い」とか、「自分が負けるのでは?」などの邪念は一切持たずに、ただひたすら目標を目指すというひたむきさがあったのだと思います。
さらにいえば、自分の力を認識しつつも、決して悲観せずに、自分の能力を最大限出して、ベストを尽くす姿勢を亀が持っていたということかも知れません。
時には自分より優れた者を模倣することも必要な局面もあるかも知れませんが、それも自分自身を十分に知った上で、マネをしていかないと、自分の致命傷となることもあるかと思います。
二兎を追わず、一つ決めた目標に対し、自分を信じて周囲に惑わされることなく、着実に歩み続けることが大切だと感じます。

《兎を待つ》

「株を守りて兎を待つ」という諺もあります。
中国の古典「韓非子(かんびし)」を起源とする諺だそうです。
宋の国の農民が、切り株に兎がぶつかって死んだのを拾って以来、また同様に兎が手に入るのではないかと、仕事もしないで毎日その切り株を見守っていて、国中の笑いものになったという故事に基づくものです。
古い慣習を守り、それに囚われて進歩のないことや、融通の利かないことの例えで使われます。
また、時勢の変化に気付かなかったり、一度味をしめたことを忘れられず、いつまでも変化を拒む姿勢のことをいいます。
同じ様な意味の諺では、「柳の下にいつもどじょうはいない」や「舟に刻(きざ)みて剣を求む」があります。
「舟に刻みて~」も中国故事によるもので、揚子江を舟で横断する途中に、誤って剣を川に落とした男が、舟が流れ動くことを考慮しないで、剣が落ちた舟の端に目印をつけ、舟が川岸に着いた後、目印の下の川底を探しても剣が見つからないという話が基になっているそうです。
周囲が変化していることを知らずに、ただ頑なに旧態依然を守ることの愚かさをいった諺です。
さて、木の切り株に衝突する兎の話は、北原白秋が「待ちぼうけ」という題で詩にしています。
そして、山田耕筰が作曲して歌にもなっています。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。
ある日、せっせと、野らかせぎ、そこへ兎が飛んできて、
ころりころげた、木の根っこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。
しめた、これから寝て待とか、
待てば獲物は駆けて来る、
兎ぶつかれ、木の根っこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。
昨日くわ取り畑仕事、
今日はほうづえ、日向ぼこ、
うまい切り株、木の根っこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。
今日は今日はで、待ちぼうけ、
明日は明日はで、森の外、
兎待ち待ち、木の根っこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ、
元は涼しいきび畑、
いまは荒野のほうき草、
寒い北風、木の根っこ。

読んだ感想はいかがでしょうか。
教訓臭さを廃してユーモラスな詩になっていますが、さすがに最後の「寒い北風、木の根っこ」までくると、厳しい戒めの歌なのかなとも感じます。
以前はイネ科のキビが生い茂って涼しい畑だったのに、手入れもしていないのでススキの茂る荒野となり、寒い北風が吹きすさぶようになってしまいました。
以前一回あった幸運(成功事例)に囚われてしまい、日々の努力を怠ってしまった結果、今まで持っていたものまですべて失ってしまったという悲惨な結末の歌なのです。
今回は兎年に因み、ウサギの諺や格言を掘り下げてヒントとしてみました。
結論としては、「過去の成功体験に縛られ過ぎず、攻めに転じる際には脱兎の如く全速で果敢にいけるよう、知恵や技術を蓄積して、守る時は守り、いくつも欲張って取りに行かず、ひとつに定めたゴールに向かって、競合者を意識し過ぎずに、ただひたむきに自己の能力を信じて跳び続けることが重要である」となりますが、いかがでしょうか。

今年一年が兎の様に飛躍の年となるようお祈りいたします。