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M-press『虚心坦懐(きょしんたんかい)』 ― 素直であることの効用 ―

2013年09月03日

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虚心坦懐とは、なにごとにもこだわらず、素直な心でものごとに対することをいいます。

『虚心』は、心が素直で、なんのわだかまり、先入観も下心もないという意味です。

『坦懐』は広く平らな心、安定した静かな心境という意味です。

たった四文字の漢字で表現されることわざですが、なかなかこういった境地で生きていくことは、簡単にできないと思います。

なぜなら、人間は非常に感情的な生物であって、頭で理解はできても心の部分が素直になれないといった事が当たり前に起こるものだと思うからです。

または、意識の中では納得して決断したと思っていても、無意識の深い層の領域では納得しておらずに、行動の矛盾が起こるのも珍しい事ではないからです。

理論的、理性的に正しいと判断して起こしている行動でも、実は感情面で納得できていないことを抑え込みながら行動していることも多いといわれています。

こういった矛盾の中では、充分なパフォーマンスを発揮できないばかりか、精神的疲弊を起して燃え尽きてしまう恐れまで出て来ます。

行動を起す行動理論でさえ、誰一人として同じものではなく、育ってきた環境や植えつけてこられたしつけや教育、今までの体験などを基に判断していくものなので、判断をしていく基準が誰もが違うものなのだという認識をしておく必要があります。

自己のやり方や判断基準に捉われすぎて、その自ら信じる判断を周囲に振りかざして押し付けていくと、周りの人々の良いところが見えなくなったり、自らの成長の妨げになったりするので注意が必要です。

今回は素直さの効用による自己成長と、集団の成長といったところにフォーカスしてみたいと思います。

《天真爛漫(てんしんらんまん)

自然のままで飾り気がなく、無邪気で明るく偽りのない様子。

ありのままの真情が言動に現われることをいいます。

『天真』とは、天のように純真なことで、『爛漫』は花が咲き乱れるように輝くという意味です。

近い意味のことわざで『天衣無縫(てんいむほう)』もあります。

こちらも人柄が何の飾りけもないことを表現する他、文章にわざとらしい技巧の跡がなく、自然のままに美しく完成していることを指して使われます。

天人の衣には縫い目など、手を加えたあとがないということからできた四字熟語です。

英語では、『to be unaffected』(ありのままで飾りがないこと)と表現されます。

さて、自分のありのままの姿と聞かれて、答えられる人は少ないように思えます。

なぜなら、前述の通り、ありのままの自分と思えることでさえ、植えつけられたり、ある段階からの思い込みで認識して持っていたりするのが人間だからです。

自分で自分のことがわからないのが人間で、周りの人々のほうがその人の良いところが分かる場合のほうが多いと思うのです。

『素直力を鍛え、一目置かれる社員になる』という若手社員向けセミナーを定期開催する講師・小川晴寿氏は素直の定義が皆まちまちに違っているのが原因と指摘します。

氏によれば、セミナー冒頭に、『自分は素直だと思いますか? それとも素直ではないと思いますか? 素直だと思う人は手を挙げてください』と参加の若者に、毎回必ず質問を投げかけるのだそうです。

すると、毎回例外なく、素直ですと9割以上の若者が手を挙げてくるそうです。

何度セミナーを開催しても、9割以上の手が挙がるので、おそらくほとんどの若い人たちは『自分は素直』と思っていると考えられます。

先輩や上司から見ると素直ではないのに、本人は素直だと思っているって、これはいったいなぜでしょうか。

『自分が素直でない』と思っている人が少ないのに、先輩や上司から『もっと素直になって欲しい』と思われているギャップが生じるのはなぜなのでしょう。

それは、個人が考えている『素直』と、ビジネスで求められる『素直』が違っているからです。

若者たちのみならず、個人レベルで考えると、『素直=素が真っ直ぐ、ひねくれていない』と捕らえてしまいがちになります。

自分のことをひねくれていると思っている人は少ないでしょう。

しかし、ビジネスで求められる素直さというのは、『素直=直す素質』と言い換えられる、別の種の素直さなのだと思われます。

つまり、このギャップが存在する以上=(『自分は素直だ』と思っている限り)=何度『素直になりなさい!』と注意しても変わるものではないと思います。

そこで、まず『素直とはどんな状態か』理解してもらう必要があります。

ビジネスにおける素直、経営者や上司、先輩、お客様が求めている素直とは、『直す素質』なのだと、繰り返し何度でも語って認識付けていく必要があります。

《純真無垢(じゅんしんむく)

心に汚れがなく、清らかな様子を表現する四字熟語です。

自分の生きる指針となる正誤判断に基づき、それに素直に従ってまっしぐらに突き進むことも純真無垢な生き方といえるのかと思います。

自己の信念に基づき行動する熱血漢タイプの人は、このような表現にあたるのかと思います。

これだと決めたら、一直線に突き進む、納得したらとことん曲げずに進むが、納得できないことにはテコでも動かないという熱血漢タイプの人は、周囲に必ず何人かはいるのではないかと思います。

良い表現ならば、意思を貫く強さを持つ人であり、ぶれない基準を持つ人でもあります。

悪い表現を使うと、頑固で意固地で聞く耳を持たないということになります。

文字通り純真無垢な人ということになるわけですが、人というのは当然、明確な基準ではっきりと色分して、こういう種類の人と区分や分類して決め付けることはできるはずもありません。

誰しもが持っている性格的傾向の一つを、強めに持っている人というだけなのでしょう。

『素直』という言葉の解釈に戻ると、究極的には『他人の話を素直に聞いて、自己で受け入れていく受容の度量がどの程度あるか?』、『自己の判断基準に対し、どの程度頑固にしがみついていくのか?』のバランスの問題ではないかと思うのです。

たとえば、自己が納得しなければ動かないという傾向が強く出てしまうと、お客様の為に、社会の為にという視点が後回しにされて、自己信念を貫くという名の下に、自分の活動領域を無意識のうちに制限してしまい、結果的に自分の苦手なことやしたくないことから遠ざかり逃げてしまうことになりかねません。

自己の判断基準、自己の価値観、自己の理念を優先しすぎて、そちらに傾きすぎた場合に起こる弊害が組織的に起こってきます。

自分に重きを置いて、自分に素直になりすぎて起きる弊害です。

ここで大切なことが、相手の話を積極的に聞いていこうとしていく姿勢なのかと思います。

聞ける人から聞くのではなく、違う意見を持つ人、意見を言わない人に積極的に近づいていって声をかけて話を聴いていく姿勢がリーダーに欠かせない要素だと思っています。

耳で聞くのではなく、心で聴いていく、そして疑心暗鬼で否定的に聴くのではなく、理解しようという姿勢で、うなずきながら(頭を縦に傾け)文字通り『傾聴』する心構えで聞いていくことが大切なのだと思います。

自分と主義主張が会わない別の価値基準を持つ人物だと、区分けして接してしまうと、多様な価値基準を受け入れられなくなり、自己の人格的成長の妨げにすらなってしまうので、非常にもったいないことだと思います。

組織や集団の理念に素直であるべき事が一番大切な前提で、次に人の意見を傾聴し受容し共感する素直さを持つ事、そして自分の判断基準での信念的素直さを適度に口にできる事のバランスが大切なのかと考えています。

最後には、素直な人間の変貌振りには勝てないと思うのです。

《純情可憐(かれん)

素直な心で邪心がなく、いたわりたくなるような気持ちを起こす様子を表す四字熟語です。

素直にひたむきに真っ直ぐな人に対しては、このような気持ちを感じて応援したくなるのが人間なのだと思います。

正しいと信じる道を素直に信じて歩んでいく人に対し、人は快く感じ好意をいだいていきます。

正しいか正しくないかの判断は、とても大切なことだと思います。

しかし一方で、正しいという選択は数多く多様にあり、多くの正しいものの中から選択していくことの方が多いのが世の常だとも思うのです。

ある人にとっては正しくても、他の人にとっては正しくないといった具合に、こちらを立てればあちらがたたずといった判断を迫られる場合もあります。

正しさの多様性を受け入れる素直さと、視野の広さが必要だと思います。

評論家の岡田斗司夫氏は、こう極論しています。

決断とは、『正しくないことを選択し、あとの努力で正しかったことにする』行為であると。

『本当に正しいこと・やるべきこと』には判断など不要で、決断とは逆に『やりたくない・決めたくないこと』を無理やり決める場合に必要なのだと氏は主張します。

熱湯に触れたら、本能的に瞬時に指を引っ込めることに決断は不要ですし、感情で感じたことも判断と別の次元にあることで、決断できる対象ではないのです。

万引きした親友とどう接するのかと似ていると氏は言います。

万引きをやめさせるか、共犯になるか、絶交するか、警察に言いつけるか、それとも『聞かなかったこと』にするのか、全部実行するのが嫌な事ばかりです。

こういった決めたくないことを無理やりに決めるのが決断だと氏は語ります。

親友の為にどの選択肢が一番適切なのか100%正しいといえない状況下で、『正しくないことを選択して、あとの努力で正しかったことにする』行為が決断であると、素直に割り切ることも必要なのかと小生も思います。

商いはすべて人による行為です。

人対人の関係で成り立つものである以上、万人が良きことを目指したいものですが、すべての人が満足という具合にはいかない面があるのも否めません。

そういったことを理解した上で、後の努力で皆にとって良かった結果に変えていく努力をしていくことこそが、経営者の仕事と思いますが、いかがでしょうか。

㈱ジェイック・教育事業部長・近藤宏充氏のコラムと、朝日新聞土曜日別冊BEのコラム・悩みのるつぼより一部流用しました。

虚心坦懐

ビューティ-クリエータ-のための情報誌No.199   株式会社マックス企画室