『琴線(きんせん)に触れる』 ― 心を動かすことについて考える ―
心に伝わるものがあって、繊細かつ微妙な感動を覚えて、心の奥に共鳴・感動を引き起こすことをいった諺です。
琴線は触れれば鳴る琴の弦で、共鳴しやすいその琴線に触れる意味から、心の感じやすい部分のことを、振るえることで音を発する弦にたとえたものです。
英語では、『to touch one`s heart strings』(心の弦に触れる)と表現されるようです。
高度経済成長期は人の頭数による人手や、時間による仕事量、大量の投資の為の資金量等、そのものズバリの量で、業績の結果が出てくる傾向がありました。
今や時代は変わり低成長期が長く続き、物量、資金力、人の数、労働時間等の量で勝負が決する時代は終わりを告げたようです。
量でなければ、当然質を求められるようになりますが、特に人がどのように関与して、感動を生みだしていくかによって雌雄を決する、人的価値を見られる時代になったようにも思います。
以前は高度成長→大量消費→大量生産→大量販売→横並び消費→横並び生産→マニュアル生産&販売→マニュアル社員教育…といったような、画一化されたものを大量に生み出すメカニズムが日本を支配していたように小生には見えます。
極論すれば、そのメカニズムによって横並び意識をもった、はみ出さない為の画一化教育が制度化され、家庭内のしつけでも皆と一緒の中流意識で冒険禁止の様な環境整備が自然となされてきたと断言したとしたら、それは言い過ぎでしょうか。
どこを切っても同じ顔の、金太郎あめの様な社員が大勢居るのが良い会社といった風潮まであったかもしれません。
さて現代に至り、どう転ぶか判らない国際経済に右往左往しながら、国際競争力が低下したと言われる日本では、それに伴って大量生産・大量販売では新興国には勝てず、昔のように滅私奉公的に所属企業の為に自分の個性を抑えても、皆が一糸乱れぬ行動で結束しても、苦しい情勢を脱しきれない経済状態のように見えます。
チームワークで結束していくというのは必要な要素だと思うのですが、集団としてやらなければならない挨拶や返事、笑顔やおもてなし心と、技術などの仕事の根幹の部分は高いレベルで完璧にできた上で、さらに個性を推進力として個人の力を高レベルで発揮していかなければ勝ち残れない世の中になってきているとも思うのです。
今号では、個人の能力を引き出して高めていくにはどうすればいいのかを考えたいと思います。
《打てば響く》
元々は、『打てば響く、叩けば鳴る、当たれば砕く』と続けて言っていたとの説もあるようです。
意味としては、ある言動に対して即座に反応することで、反応自体が素早いことの形容としても使われています。
『琴線に触れる』は、心の奥底にある感情に触れて心が動き、行動が変化することになりますが、『打てば響く』のほうはもっと瞬時に反応するのですから、頭で考えて反応するのではなく条件反射的に、無意識(或いは潜在意識)の領域で反応したとも言えるようです。
ところで、頭で考えるという行為は、理論的に考える=意識的な部分(顕在意識)で思考する行為だと言われます。
心で感じるということは、感情を感じるということで、意識できていない領域(潜在意識や無意識)の領域で反応しているとも言われます。
大雑把に分類すると、頭=思考、心=感情ということになります。
人が生きていく中で意識して活動しているのは、最近の学術的発表では5%に満たないとまで言われるようになってきているようです。
呼吸をすることはもとより、歩く時には、足はこの順番でこのような位置に動かして手はこのように振って…などと考えて行動していないのと同様に、ほとんどの行動が反射的、もしくは過去の経験を体が覚え、意識せずとも自然に体が反応しているということなのです。
つまり、自分が頭で考えてこうしようと意識していることは、人間の行為のたった5%未満ということなのです。
これは自覚できている意識で、顕在意識と呼ばれるものです。
残りの95%以上の部分が潜在意識と更に深部の無意識の領域にあると言われています。
潜在とは、潜(もぐ)っているけど在(あ)るという意味です。
「彼は潜在的には力がある」とか、「彼女は潜在能力が高い」といった表現で使われます。
こういう風に言われる場合は、周囲の人は彼や彼女の価値を見出しているのに、当の本人達は気が付いていない場合に使われる事が多いと思うのです。
自分で自分の価値はなかなか見えない場合が多い様なのです。
子供の頃からの家庭でのしつけや、学校教育、その他環境などによって、体験的に覚えてきたことって、潜在的に体に染みついているそうです。
例えば、「我慢しなさい」「女の子はおしとやかに」「男だから泣くな」「目立つな」「はみ出すな」「控えめに」…など、数多くの制約を受けて成長していく過程で、自分を押し殺して感情を抑圧していく傾向が続き、自分自身を見つめることや自分の感情と向き合うことが徐々にできなくなってくるのかも知れません。
結果として、自分を見ることが苦手になる人が多く、自分の価値観を見いだせていない人が多いのかと思います。
自己価値を低く見て価値を見いだせないといった、無価値観を潜在的に持っている人達に、自分の素晴らしさを解ってもらい自己価値を高めて自信を持たせることが、チームメートの仕事であり、特に先輩・上司・リーダー・経営者の重要な役割です。
その人の潜在的に眠ってしまった良き個性を呼び起こすには、潜在意識を目覚めさせるような、心の奥底に響く「琴線に触れ」「打てば響く」言葉で目覚めさせてあげる必要があるのです。
決まったことを全員でやるチームワークだけでは生き残れない時代だと認識すれば、各個人の持つ、輝ける個性を最大限に発揮できるように、見出して磨きあげて活き活きと人生の喜びを見いだせる集団にしなければならないと思うのです。
《こだわりと執着》
どちらも心をとらわれている状態ですが、両者は大きく異なるようです。
こだわりは持てば持つほど上手くいきますが、執着はすればするほど上手くいかなくなります。
どこからその違いが生じるのかを考察していくと、過去・現在・未来といった時間軸にどうやら関係がありそうです。
こだわりが今や未来の自分にとって、幸福をもたらしたり夢をかなえるのに役立ったり必要なものなのに対し、執着は昔の自分に必要だったり役立ったかもしれないが、今の自分や未来に対しては障害となるものに心をとらわれているといった違いでしょうか。
このこだわりと、執着の違いがなかなか自分自身で判断できないもののようです。
過去の成功体験や、長年受けてきたしつけや教育、そして自分自身で植えつけてきた「…べきだ」「…ねばならない」という思い込みに縛られてしまう傾向があるからです。
また、執着を手放すのが難しく感じるのは、こだわりを捨てて諦めてしまうような感じと誤解して認識したり、自分の過去の生き方を変えるような気がして怖いので意地で無意識に抑えつけてしまったりしている場合もあります。
こだわりを持ち続けることで、どうも上手くいかないなって感じることがあったら、そこに執着が隠れていないか疑ってみる必要があるのかもしれません。
ところで、意識の働きには願望の様に良いものと認識したものも、絶対になりたくないと強く禁止を意識したことも、肯定と否定のどちらをも判別できずに潜在的に意識の中に残ってしまう仕組みがあるというのです。
例えば、父親が酒浸たりで暴力的で、「絶対に父親みたいにならない」「酒は絶対飲まないぞ」「暴力は絶対使わないぞ」など、「絶対…○○しない」と強く意識し続けた場合も、潜在意識ではイエスとノーの区別がつけられないので、酒・暴力が強く認識付けられて何かの拍子に飛び出してしまう…なんて場合もあるようです。
つまり、頭で強く思い続けて意識に認識付けたことは、それが禁止したことでも潜在意識では禁止できずに、逆に強く作用して、行動として出てしまう場合もあるということなのです。
これを職場に置き換えて考えると、職場での決め事は、「…すべきでない」「…してはならない」等とネガティブ事項を禁止するという決め方は得策ではなくて、「こうなりたい」と肯定形で設定するほうが効果的といえます。
目的を明確にして、目標を設定したら全メンバーで腹に落とし込む作業をしていきます。
これが、コミットメントです。
腑に落ちるところまで、行動を習慣付ける作業が必要です。
それをできるようにする前提が、先ほど述べたような執着を手放して、吸収しやすい空っぽの自分をつくり、素直に腹に収まる形を作ることなのです。
「手放し」は「放す」=自由にすることで、「離す」=遠ざける意味の「手離し」とは違います。
自由にする…ということは、制限したりコントロールしたりしないと言い換えられます。
執着している対象を無視する、気にしないようにする、執着しないように頑張る…といったことは、「手離し」であって、「手放し」になっておらず、手放ししたつもりが実は潜在意識で執着を逆に強くしてしまっている場合もあるようです。
結果として、やればやるほどそれは執着を強めてしまいます。
リーダーや指導職の役割の中では、自己の執着を手放し、部下の執着していることを見出し、部下が執着を手放すお手伝いをする仕事はますます重要度を増していくかと思われます。
《共感的理解法》
相互理解を得るためには、仕事以外の個人的なレベルの話をしてお互いを理解しあうのがまず大切といいます。
社員間は勿論のこと、取引先との関係でも重要なのだそうです。
企業の大規模合併に際しての、社風の全く異なる会社の集合体を、いかに早く燃えるひとつの集団に変えていくかという実践が米国では進んでいるそうです。
エクソンとモービルという二つの石油メジャーの巨大企業合併における社員一本化を先導した、その道の第一人者であるジョン・グリーンが話したのが、「最初は仕事の話は絶対にしてはいけない」というコミュニケーション理論です。
彼の方法では、仕事以外の趣味だとか好きなこと、家族や今までの人生などを最初に打ちあけ合ことが必要で、それも上司や先輩から先に心を開き開示していくことが大切だといいます。
さらに、アクティブ・リスニングと呼ばれる能動的に部下や構成員の話しを傾聴して、相手の気持ちをくみとっていくように努力します。
そして、I(アイ)メッセージを使って、自己の心を開示して素直な心情を伝えて部下を援助していきます。
対極にあるのが、YOU(ユウ)メッセージで、これは相手に向けての批判や非難に聞こえ易く、部下のやる気を奪ってしまいがちの表現方法といわれます。
紙面の都合で今回は詳しい説明はできませんが、相手の心に火をつけるには、傾聴・受容・共感・自己開示・理解といったリーダーや上司のコミュニケーション能力がポイントで、それ等が人の可能性や集団のパワーを生み出す原動力になるようです。それには、心の琴線に触れてその人が変わる動機をつくることが必要です。
能力が最大限に発揮され、打てば響く集団を作りたいものです。